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2018年

4月

22日

熊本便り 18

「さくらの季節に思うこと」

 

 今年は、ことのほかさくらの季節が早く訪れた。

 わたしは先月は、横浜のいつものところでお花見をした。

 美しい日だった。

 1歳の女の子が草むらにちょこんと座り、両手を合わせて微笑んでいる。8分咲きのさくらと春の陽光が女の子を照らし、ときおり散ってくる花びらが女の子のまわりを飾り、ほんとうに美しかった。ああ、こんなに美しいのを見せてもらったら、死ぬかもしれない、とふと思った。

 そして、熊本は今月初めが花の盛りだった。横浜に遅れること4~5日。だから、わたしはもう一度お花見ができたのだけれど、ここ山鹿市のひとは取り立てて、お花見などしないのである。お花見ができそうなところはたくさんあるのに、その下で宴会もできるのに、そんなことはだれもしないのだ。お弁当を食べているひとすら、いない。

 こちらでは、お花見とは、なにも持たずに、ただ花を見に行くことなのである。そういえば、昨年も満開のさくらの下で、おいしいお寿司とビールと焼き鳥をほおばっていたのはわたしたちだけだった。

 きっと、ふだんのくらしのなかにさくらはあり、特別にお花見などしなくても十分なのだろう。忙しいこともあるだろう。わたしはちょっとさみしいのだけれど。

 

 ところで、ここ山鹿市が不登校が少ない3つ目の理由を書かなければ、と思う。

 それは、山鹿市のおとなが子どもを大切にしているのかそうでないのかはわからないけれど、子どもたちの情報がすみずみまで行き届いていることにある。

 たとえば、市の広報の表紙の写真は子どもたちの折々の表情をとらえたものだし、表紙の「やまが」という文字は子どもたちが書いた習字だし、数ページを使って順番で保育園から中学校まで学校の様子が報告されるし、特集でさまざまな様子が掲載されることもある(不登校の少なさもこの特集で知った)。そして、回覧板では近所の小中学校の広報がまわってくるので、わたしのように子どももいなくて、ある意味部外者でも子どもたちの様子がしっかりと伝わってくるのである。

 結果、なんとなく子どもたちに親近感をおぼえ、近所の子どもたちの顔も名前もわかり、ともに生きているという感覚になる。そして、おとなはみんな手間を惜しまず、廃品回収など学校の行事に全面的に協力する。

 先日、市の教育長と市長に会った。不登校の少なさを話題に挙げると、

 「みなさんのおかげです。ありがたい」(市長)

 「なーん、(学校に)行かんとおごらるるけんたい(叱られるからだ)」(教育長)

 なんと、こう言いながら、教育長は不登校についてのNHKの特別番組に出演し、山鹿方式の話をしたという。やっぱり・・

 考えてみれば、山鹿市は自治体の大きさがひとが生きていくのにちょうどいいのかもしれない、と思う。横浜では市長や教育長に会えることなどないが、ここでは友だち言葉で話ができる(教育長は高校の同級生、市長は先輩)。子どもの情報が多いのも、ほかに話題がないから、とも言える。横浜では、話題が多すぎて、その気はあっても子どもの情報にまで手が回らないのだ。

 「大きいことはいいことだ」と、その昔流行ったけれど、大都市のほうがかっこいいのかもしれないけれど、大きいほうが税金が有効に使えることもあるのかもしれないけれど、

自治体の大きさも照準を合わせるなら、「ひとが生きてゆく」ということにこそ合わせるべきだと思う。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

3月

21日

熊本便り 17

「不登校が少ない理由」その2 その1はこちらからどうぞ

 

 「ひとは出会いで人生が決まるといっても過言ではありません。N先生には本当に感謝してもしきれません。いのちの恩人です」

 こう語るのは、中学生のとき不登校の経験をもち、現在は社会人として第一線でバリバリ働くA君のお母さまである。

 A君は中学2年生のとき、不登校になった。原因は不確かだというが、あまり学校が好きになれず夜遅くまでゲームに熱中し、翌朝起きられず、ずるずると学校を休むことになったという。

 そのときの校長先生がN先生だった。熱血教師として知られたN先生は生徒指導にあたり、「不登校ゼロ」をめざしたのである。当然、A君も熱血指導の対象となった。N先生、学級担任、A君の親は話し合いを重ね、A君の不登校の理由が「甘え」であることを確認し、強制執行に出たのである。

 当日、N先生は担任とともに担架を用意して、A君の家へ。説得に応じそうにないA君に業を煮やし、子ども部屋に入り、A君を担架に乗せて学校まで連れて行ったのだ。

「もちろん、安易に行動にでたのではありません。ここに至るまではA君をきめ細かく観察し、親とも入念に打合せして実行しました。親と教職員の力の結集です」(N先生)

「失敗したら、どうするつもりだったのですか?」

「失敗なんて考えもしませんでした。本当に子どものことを思ったら、その気持ちをぶつけるしかありません。これも子どもへの愛情なのです」

 その後、A君は少しずつ登校できるようになり、いつのまにか学校は不登校ゼロになった。そして、そのうわさを聞き付けたほかの学校の不登校の親が子どもを学校に転校させるようになったという。

 20年くらい前の話だけれど、うそのようなホントの話である。日本全国探しても、こんな先生いるだろうか。というより、いまどきこんなことが許されるだろうか。「子どもの人権」という美しい言葉が盾になって、子どもの嫌がることはしない、というのが順当な判断だろう。万が一、失敗でもしたら、それこそ大ニュースになる。人権侵害もはなはだしいと。N先生は表舞台から姿を消し、ひっそりと生きていくしかない。

 自分のことを子ども自身が選ぶ、ということはとても大切な考えだけれど、経験値が少ない子どもが自分で選んでゆくのは一方でかなり難しい面があるのも否めない。自由選択はもっともきついことでもある。信頼するおとなに「こうしなさい」と言われるほうが子どもにとってはたやすいこともある。

 いま、世間は必要以上に「他人に踏み込む」ことをしないのではないか、良くも悪くも。教師もリスクをとれなくなったし、表面をなぞり、なんとなく終わってしまう。もう少し、だれかが踏み込んで接してくれたら、不登校は引きこもりは脱していたかもしれない、という子どもや青年はもしかしたら案外多いのではないだろうか。踏み込むにはもちろん、覚悟と情熱と、なによりハートが必要なのだけれど。

 その後、N先生は県の要職を歴任し、今では某高校の副理事長を務める、現役バリバリの教育者である。齢80歳を超えるけれど。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

3月

21日

熊本便り 16

 巨星が落ちた

 

 ここに1枚の写真がある。20代のころの石牟礼道子さんである。笑顔がじつに美しい。石牟礼さんは胎児性水俣病の子どもたちを前にして、透き通るような笑顔を見せている。

 210日、寒い朝。熊本が誇る世界的文学者、石牟礼道子さんがついに召された。90歳だった。パーキンソン病に苦しみながらも、死の直前まで絞り出すようにことばを紡ぎつづけてきた。

 同じ熊本県に生まれながら、恥ずかしいことにわたしは水俣病についてくわしく学ぶことはなかった。学ぼうと思えば、すぐ近くにそれはあったはずなのに、愚かなわたしは見向きもしなかった。ひとえに、わたしの不徳の致すところなのだけれど。ずっと後になって、会わせたい人がいる、と知人に言われ、それが石牟礼さんだったのだが、そのときも会えずじまいだった。

 石牟礼さんは、「のさり」「のさる」という考え方を大切にしたひとだった。「のさり」とは、天から与えられるものという意味で、水俣病も究極的には「のさり」なのだと。水俣病を単なる公害病ととらえるのでなく、もっと深いところで人知の及ばないちからが働き、天の配剤だったのだと。そして、苦しむ患者や漁師を決してみじめな存在ととらえるのでなく、荘厳な光を放ついのち、と深い敬意を払っていた。だから、内容に反して、『苦海浄土』のことばは美しく、光を放っている。

「水俣のお年寄りは子どもをほめるときに『魂の深い子じゃね』と言います。『勉強ができる子』とは言わない。要は、人様を思いやることができるのかどうか。そういう心根の優しさをどうやって身につけていくかでしょう」(石牟礼語録より)

 石牟礼さんこそ、魂の深い深いひとだった。なにがあっても決してぶれることなく、しなやかで強靭で、弱いひとの傍らで、ひたすら寄り添いつづけてきた。水俣病の患者さんにとって、そして多くのひとにとって、大きな大きな星だった。

 水俣病を語れるほどにわたしはないけれど、ひとつだけ言えることがある。石牟礼道子さんは、わが熊本に「のさった」ひとだったのだと。いや、日本に、世界にと言ったほうがいいかもしれない。水俣病とともに、「のさった」ひとだった。

 最近の石牟礼さんの写真もある。20代のころのような凛とした美しさはないけれど、しかしやっぱり美しい。まなざしがやさしくてあたたかで、どこまでも美しい。

 石牟礼さんの残したものはあまりにも大きいが、せめてわたしもできるだけのことはやりつづけようとしみじみ思う。

 

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

1月

16日

熊本便り 15

 なぜ?どうして?「不登校が少ない山鹿市」

 

 

 全児童生徒数に対する不登校児童生徒の割合は、全国平均1.26パーセントに対して、ここ山鹿市は0.4パーセント。なんと、3分の1以下である。これには必ず理由があるはずだと、ちょっと調べてみた。

 現役の先生3人に聞いてみると、みな一様に同じ答えが返ってくるではないか。

「それはね、養護のK先生のおかげです」

「えーっ、ひとりの先生?」

「そう、すごいんだから。転勤するたびにそこの学校から不登校がいなくなる。ひっぱりだこの先生です」

「そうなんですか、でもなぜ?」

「うーん、いろいろありますが、K先生が徹底しているのは、朝は必ず担任が児童名簿をもって、一人ひとりの名前を呼んで、顔を見て出席確認をすること。どんなに忙しくてもこれだけはやるべきだと」

 名前を呼ばれることによって、子どもたちは少なくとも1日に1回は先生と11のコミュニケーションがとれる、顔を見ることでその子の様子がわかる、気になった子は注意してみることができる、とのこと。このために、朝の職員朝礼もなくした学校が多いという。先生同士集まるより、子どもたちとのふれあいを大切にするべきなのだと。

「でも、決してK先生は無理強いしない。おだやかで、無理に学校に来なくてもいいという考えの持ち主なんです。でも不思議なことに、子どもたちは学校に来たがります」

「そうなんです。ぼくは昨年、クラス40人の生徒全員が無遅刻無欠席でした」

「わたしのクラスもそう」

「でも、インフルエンザとかあるでしょう」

「インフルエンザは出席停止で、欠席にはなりません」

「そんなに学校が好きなんですか?」

「さあ、それはわかりませんね」

 もう、びっくりである。そしてまた、全員が「肝は、先生とのコミュニケーションと生徒同士のコミュニケーションに尽きる」と言う。言われてみれば、まったくその通りなのだけれど。

 そして、市内でもっとも大きな中学校(生徒数700余名)に行った時のこと。学校帰りの生徒が校門を出る前に校舎を振り返り、一礼して帰っていくのを見た。それも、ほとんどの生徒がやっている。感動して校長先生に話すと、当たり前だというように、

「それは普通ですね。でも、だれも強要していません。生徒たちが自然にやっているのです」

 もちろん、人口が少ないとかほかにも理由はあって、それらが複合的にうまくかみあっているのだろうけれど、どうしてもあと2つふれたいことがあるが、紙幅の関係で次号に回します。

 

 2018年、おだやかでありますように。 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

12月

20日

熊本便り 14

 これって、「おんなの性(さが)?」

 

 この地で以前と大きく変わったことのひとつが、女性の暮らしぶりです。家事も電化がすすみ、自由になる時間も増え、ひとりに1台という車事情も手伝って、習い事やスポーツ、食事会などで、女性の多くが積極的に外出して生活を楽しんでいます。

 そして、いつの世もなかなかにおもしろいのが女の友だち事情でしょう。

 「ねえ、あなたも入ってみない」

 都会帰りでひとりぼっちでかわいそう、とでも思われたのか、俳句や短歌、大正琴、ビーチバレーなどいろいろなグループからお誘いを受けました。うーん、おもしろそうと思っても、二の足を踏んでしまいます。

 というのも、多くのグループが毎月2,0003,000円とお金を積み立てているのです。自分たちの楽しみのために。つまり、積立金でみんなで食事に行ったり旅行に行ったりするのです。たいていの場合、グループには名前がついています。「イチゴの会」「ミーナクラブ」など、それなりのいわれもあって。まあどうでもいいんですけれどね。だれに迷惑かけてるわけじゃあないし、それはそれで美しい友情なのかもしれないし、単なるわたしのひがみかもしれないし。

 しかあし、わたしはどうしてもひっかかってしまうのです。みんなで食事をするとき、お金を出し合うとき、みんなのなかにある、排他的な仲間意識が垣間見えて、引いてしまうんです。

 「みんなで役員やったのがつきあいの始まり。もう15年も続いているのよ。こんなに仲いいのわたしたちだけかな」

 ふうん、そうかいそうかい、よかったじゃん。ほかのグループもたしかそんなこと言ってたよ。自慢スンナって。

 「わたしたち友だちだもんね、ずっと仲良くしようね」

 「よかった、この仲間に入れてもらって」

 じゃあ、仲間に入れないひとはどうするんだい。あんたのとなりにいるじゃあないか。声をかけろよ。

 「わたし、3つもグループに入ってるから、月々のお金もたいへんなの」

 でも、そう言うわりにはうれしそうじゃん。よかったね。

 という具合なんですね。お金を出すことで、自分の居場所を確認し、会ったらみんなで仲間であることを確かめ合う。はいはい、そうしなきゃあ、心配なのかい、とでも突っ込みたくなる。だったらひとりでいいさ、となるわたしです。

 考えてみれば、これってどこかであったような。そう、この構図には既視感があります。はい、小学校の、中学校の、高校の、あの女同士の集まりです。チャイルドラインにかかってくる女の子からの電話もこれに似たり寄ったりです。

 ということは、これって「おんなの性(さが)」なんじゃあないだろうか。うーん、そこのおばさん、もう60歳超えてるよね、成長してないなあ。

 

 そして、せっかくこうしてみんなが楽しんでいるのに、ああだこうだといちゃもんをつけるひとのことを、熊本弁で「肥後もっこす」といいます。

 はい、わたしは立派な「肥後もっこす」です。嗚呼。

 

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

12月

14日

ワークショップを開催しました!

 馬車道まつりアートフェスタ2017の最終日にあたる11月3日、全国共済ビル地下の馬車道プラザみらいにて、よこはまチャイルドラインのワークショップを開催しました。

子どもでも簡単にできる絵本作りをしながら、私たちの活動を知ってもらおうという初の試みでした。当日は、約300人の方に足を運んでいただき、絵本作りやご当地ヒーロー、スター☆ジャンとの写真撮影を楽しんでもらうことができました。

親御さんや大人の方へは、学校で配られる よこはまチャイルドライン のカードだけでは伝えられない私たちの活動の趣旨などをお話させていただく良い機会になったと思います。

また、私たちスタッフも、子どもたちと一緒に絵本作りをすることで、多くのことを学ばせていただきました。一生懸命に作っている子どもたちの姿は忘れることができません。

絵本を完成してくれた方に差し上げた パパブブレ のキャンディーは、大人の方にも好評で、絵本を完成させてくれた スター☆ジャン のお二人にもお土産に持ち帰っていただきました。

当日お越しいただいた多くの皆さまと、ワークショップ開催にあたり全面協力いただいた 全国共済 さん、子どもたちのヒーローとして応援に来てくださったスター☆ジャンさん、お土産のキャンデーをつくってくださったパパブブレさん、そして神奈川新聞厚生文化事業団のご支援に、心より感謝申し上げます。

また来年、お会いしましょう!

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2017年

10月

19日

熊本便り 13

 「不条理」ではなく「必然」だった

 

すすきの穂が黄金色にゆれ、澄んだ秋空のもとで山肌を覆い尽くし、光り輝いている。吹き渡る風にゆられて、穂は微妙に色を変えてゆく。まるで、波打つようだ。みごとなまでの美しさ。すすき野原がこんなにも美しいとは。

 ここは、久住山。阿蘇から連なるやまなみハイウェイを通り、久しぶりに訪れた。あれ以来、どうしても踏み入ることをためらっていたところである。熊本には阿蘇山という一級の活火山があり、絶えず噴火しており、温泉も多く、地中のマグマエネルギーはたまりづらい、と教えられて育った。だから、大地震は熊本には縁がないと。それを裏付けるかのように、昨年の地震の前までは「熊本には大地震はない」と言い切り、企業を誘致していた県庁は、ホームページにも「大地震に縁がない熊本県に来ませんか」と紹介していたほどなのだ(もちろん、大地震の後にはそのページは直ちに削除されたが)。

 それなのに、大地震は起きた。不条理というものだろう。阿蘇大橋、阿蘇神社、はもろくも崩れ落ち、あれから1年半たったとはいえ、ミルクロードにはまだ片道走行のところもあり、山肌のえぐれが散見されるなど、地震の爪痕はあちこちにみられる。

 しかし、なのである。大観峰に立つと、阿蘇五山が静かにたたずみ、なにごともなかったかのようにそこにある。その容姿はまるで仏様が寝ているかのような「涅槃像」とよばれるにふさわしい立ち姿で。ああ、阿蘇は世界一のカルデラ、わたしがいま立っている大観峰は外輪山で、何千年前は巨大な山の一部だったのだとあらためて思う。

そして、やまなみハイウェイはドライブに最高の場所である。どこまでも広大な草原、連なる山々、牛たちの長閑かな姿・・・信号はほとんどなく、これほど気持ちのいいハイウェイはめったにない。やがて、現れてくる九重連山も最高に美しい。日本百名山の一座であり、季節ごとにいろとかたちをかえてゆく。春はミヤマキリシマが咲き誇り、夏は色濃い緑、そして秋が深まると九州一の紅葉が楽しめ、冬になると真っ白な銀世界でスキーもできる。いまは、すすきの群生が目もこころも楽しませてくれる。

その昔、川端康成が2度この地を訪れ、『波千鳥』という小説のなかで、登場人物に語らせている。「私は大きい自然の天堂にいるようです。ああ、来てよかった。と私は声に出して言いました」

たおやかで、おだやかな大自然に抱かれていると、自分のちっぽけさが身に染みてくる。日々の問題などたいしたことないと思えてくる。ああ、来てよかった、としみじみ思う。

そして、不条理極まりないと思っていたあの大地震も、何千年何万年という悠久の流れのなかでは、必然の出来事だったと腑に落ちる。阿蘇が阿蘇であるために、久住が久住であるために、必然だったのだと。ひとは大自然の前では無力で、しかし、生きてゆかねばならない、自然とともに。ゆめゆめ、おのれを過信することなかれと。

 

じつは、これも必然なのか。同じ日に事務局のAさんとまったく同じ場所に立っていたのである。ニアミスだけれどね。以下、Aさんの感想も。「ミルクロードを通って久住高原で一泊、翌日は大観峰と九重の吊り橋、塚原火口などに寄りながら湯布院で一泊という日程でした。お天気にも恵まれ、それこそ暑いぐらいでしたが、九州はとてもパワーがあるというか、元気だなあと思ってしまいました。阿蘇の大自然に触れて、日本にもこんな風景があるんだー!と感動しきりでした」

次は、ニューヨークでばったりかもね。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

10月

06日

ワークショップ開催のお知らせ!

馬車道まつりアートフェスタ2017(10/31~11/3)の最終日、10:30~13:30 

全国共済ビル地下の馬車道プラザ みらい にて、よこはまチャイルドラインのワークショップを開催します。

 

子どもでも簡単にできる折り本作りをしながら、よこはまチャイルドラインを知ってもらおうという試みです。参加してくださった方には パパブブレ さんの可愛いキャンディーをプレゼント!

ご当地ヒーローの 横浜見聞伝スター☆ジャン も応援に来てくれます!

かっこいい スター☆ジャン と一緒に写真撮影ができるコーナーも!

(11:30~と12:30~の2回を予定しています)

 

 

どうぞご家族そろってお出かけください。(参加費無料、事前申し込みなし、所用時間15分程度、時間内にご来場してくださった方各自での製作になります。)

 

実施月日: 2017年11月3日(祝)10:30~13:30頃まで

会  場: 馬車道プラザ みらい  横浜市中区常盤町5-60 全国共済ビル地下1階

アクセス: みなとみらい線「馬車道駅」5番出口/横浜市営地下鉄「関内駅」9番出口

 

 

 

 

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2017年

9月

21日

熊本便り 12

 「田舎の一戸建てに住むということ」

 

  

 大学入学で家を出て四十数年、ずっと集合住宅に住み続け、一戸建てに住むという経験がなかったわたしである。久しぶりに念願の(?)一戸建てに住んでみた。木材にこだわり、今風の平屋なので、それなりに満足しているのであるが。

が、が、が、ずっと頭を悩ませているのが庭の草取りである。いやあ、しらなかったよ、お富さん。こんなにも雑草の伸びが早く、あっという間に自慢の庭が草だらけになるとは。しかも、田舎の家は敷地がひろーいのです。はい、とんでもない広さです。だから、草の生えるところがいっぱいあるんですよねえ。

近所のおくさまたちは手慣れたもので、どこの家もいつもきれいになっているではないか。それに比べて、我が家は草ぼうぼうなんですね、これが。

昨年は、むらさきつゆくさの可憐な花を見たくて、庭に突然現れたつゆくさをとらずに花を楽しんでいたのだが、あれよあれよと大きくなり、びっくりしていると、となりのおくさんが、

「そのつゆくさは、さっさととらないとたいへんなことになるよ。昔のツユクサと違って外来種だから、とにかくたちが悪いんだからね」

とのたまうではないか。しかあし、ときはすでに遅し。花は実を結び、あちこちに種を蒔きちらし、今年はといえば、びっしりのツユクサの誕生と相成ったのである。うーん、はやく言えよ。

とにかく、雑草は強い。どこにでも生えてくるんですね。

「草は毎日とらないとダメ。とくに小さいときにとらないと、実を結んだらたいへんなことになるから」

ということで、草取りにもそれなりのこつがあるそうな。

① とるのは雨上がりの午前中(抜きやすく、日差しも弱い)

② とにかく草が小さいうちにとる(かがるという。そうすれば根絶やしになる)

③ 少しでもいいから毎日とる。

④ 手袋、小さい鎌、かご、蚊取り線香(みんな腰にぶら下げている)が必須。

はっきりいって、こんなこと不得意のわたし。どうするべなあ。

母も草取りをしていたのだろうか。思い出せないのだけれど。

田舎の一戸建てに住むということは、それなりにたいへんなのです

 

 

 

 

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

9月

11日

学校地域コーディネーター・フォーラムに参加しました

9月9日(土)ほどがや市民活動センター アワーズで開催された 第5回学校地域コーディネーター・フォーラムに参加しました。

 

一昨年昨年と参加させていただきましたが今回のテーマはつながるつながり。

事例発表では、幸ケ谷小学校のハッピースマイルディ、平沼小学校の平沼フェスティバルというイベントの取り組み内容について発表がありました。

各学校のイベントの苦労話やコーディネーターの関わりなどを知ることができました。

全体交流会のワークショップでは、学校・行政・NPO・学生などがワークを通して知り合い、交流を深めることができました。

よこはまチャイルドラインでは、今後、学校のイベントや出前授業にどのような形で参加できるのかを考えるきっかけになりました。

 

学校地域コーディネーターフォーラム

 

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2017年

8月

29日

熊本便り 11

 「美しいふるさとの祭り」

 

 

う、うつくしい。

なんという細やかさ。色使いの巧みさ。部屋の灯りからかけじくまで、洗練された上品な造り。日本の伝統的な美。子どものころから何度も何度も目にしているものなのに、こんなに美しさを感じたのは初めてである。

作者がいいのか。聞けば、いちばん若い職人で、まだ20代という。どおりで、伝統のなかにも、なんだか現代的な美的センスが漂う。

しかし、見物人はわたしたち以外だれもいない。おそらく、街はずれのここに来る人はまれだろう。静謐、市井のひとが静かにそれを見守る姿にも風情がある。観客がいなくてもったいないと思う反面、ひとがいないからこそ味わうことのできる粋もあるのだと思う。

「この町は高齢化が進み、もう40軒くらいしかありません。若い人が少ないので、明日の担ぎ手が足りなくて、郵便局長さんがひとを集めてくれました。町の負担は8万円。あとは市が補助してくれるから、やっていけます」

815日。全国的には終戦記念日だけれど、ここ山鹿市は、「灯籠祭り」で賑わう。その昔、菊池川一帯に立ち込めた深い霧に進路を阻まれた景行天皇のご巡幸を、山鹿の里人がたいまつを掲げてお迎えした。以来、里人たちは天皇を祀り、毎年たいまつを献上したのが始まりで、室町時代になると、和紙でつくられた灯籠を奉納するようになったというから、その歴史は古い。

わたし自身、祭りに訪れたのはじつに40数年ぶり。往時の賑わいはないけれど、しっとりとしたなかにも、伝統を守っていこうとするひとびとの心意気を感じる。

祭りの目玉は、なんといっても「灯籠」である。町内ごとに、それぞれの「灯籠」をつくり、15日から飾り付け、16日真夜中に町衆が灯籠を神輿のようにかついで大宮神社に奉納するのだ。「灯籠」は、熟練の職人が和紙と糊だけを使って、おもに日本中の寺社仏閣をつくりあげる。今年は28基もの灯籠がつくられ、冒頭の灯籠は「座敷づくり」と命名された、日本家屋伝統の様式をかたどっている。

そして、「ぬしは山鹿の骨なし灯籠 よへほよへほ 骨もなけれど肉もなし よへほよへほ」という「よへほ節」の調べに乗せて、優雅に舞い踊る「1000人灯籠踊り」は、翌16日の一大イベントである。頭上にほのかな灯りのついた金灯籠を載せ、浴衣姿で1000人もの女性が闇のなかで舞う光景は、この世のものと思えないほど見るひとを幻想的な世界へと誘う。身びいきかもしれないけれど、あの有名な富山の「おわら風の盆」に決してひけをとらぬ美しさである。うん、ぜったい。

「山鹿灯籠祭り」、日本中に祭りはたくさんあるけれど、ぜひぜひ一度は堪能してほしい、誇れるふるさとの祭りなのです。

 

徳丸のり子

 

 

 

 

 

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2017年

7月

17日

熊本便り 10

 

「驕る平家は久しからず」

 

ご存じのように、九州地方はまたも甚大な被害に見舞われました。「これまでに経験したこともない大雨」による激甚災害です。25名もの尊いいのちが奪われ、まだはっきりとした被害状況は分かっていないのが現実です。あれから、1週間もたつのに、です。

 7月5日、わたしは横浜にいました。ですから、どんなに大雨だったのか、じつはわかりません。しかし、家人の話によると、夜中に雷鳴が鳴り響き、それが地響きになり、「まるで戦争のようだった」と。つまり、音と光で、一睡もできず、それは爆弾が落とされたようだったのだと。そうです、戦争なんて経験していないのに、です。

 じつは大被害にあった朝倉市と日田市は我が家からはそう遠くないのです。山を越えれば日田市で、おいしいうなぎを食べに行くこともあるくらいなのです。つまり、日田と熊本の間に山があって、熊本県はその山に助けられたのです。

しかしそれは、裏を返せば、大雨前線が熊本県側にかかっていたら、被害は逆転していたのです。テレビで壮絶な映像をみながら、ああ、この状況はわたしたちでもおかしくなかったと実感していました。

自然と生きる。ことばは美しいのですが、それはこのような自然の猛威も同時に受け入れるということでもあります。山の幸、海の幸、里の幸、美しい星空、きれいな水、おいしい空気、みずみずしい山の緑・・・いいところはもちろん、たくさんあります。しかし、しかし、と思うのです。「これまでに経験したことのない大雨」は、なぜそのようなことが起きてしまうのか、と。

これまでにも、たびたび指摘されてきた、「地球温暖化」。自動車やエアコンなど、人間が自分たちの快適さを追求するあまり、大量の二酸化炭素を放出し、あげく地球の気温が上がり、それが自然のあらゆるところに影響を及ぼしている、「温暖化」です。

今回の大雨被害もそうですが、人間の欲望に耐えきれなくなった自然が、人間に対して警告を発しているように思えてなりません。「にんげんよ、おごることなかれ」と。

ああ、そういえば、時の政権も一強の驕りで大衆の支持を失っているようですね。「驕る平家は久しからず」。昔からわかっていることなのに、ひとは学んでいないのでしょうか。

徳丸のり子 

 

 

 

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2017年

6月

18日

熊本便り 9

「玉三郎と海老蔵」

 

熊本でのわたしの住まいは、県の北部、福岡県や大分県との県境に近い山鹿市にあります。山鹿市は、人口約5万人、高齢化率も高く、これといって目立つ産業もない、全国的にも知る人も少ない、きわめて地味な地方都市です。

なのに、そんな田舎町で毎年、歌舞伎界のスターが公演を行うのです。このときばかりは全国からファンが山鹿を訪れ、ふだんは静かな街も賑わいをみせます。

なぜ、田舎町に歌舞伎スターが、と思われるでしょう。その秘密は、国の重要文化財である芝居小屋「八千代座」にあります。八千代座の歴史は古く、1910年、山鹿の旦那衆が組合を作り、町の繁栄を図るために130円の株を募って建てたものです。当時の山鹿は菊池川の水運、豊前街道を利用した水陸交通の要所で、物資の集散地、屈指の温泉場として賑わっていました。

歌舞伎、浪花節、活動写真、新劇、コンサートなど様々な催しものに利用された八千代座はしかし、昭和になると、人々の嗜好の変化、映画からテレビと娯楽の変遷があり、ついに1973年に閉館。その後建物の老朽化も進み、1986年、みるにみかねた地元の有志で八千代座復興期成会が発足、復元工事が行われ、1989年に活用再開しました。

このとき、あの坂東玉三郎の目に留まったのです。というのも、八千代座が廻り舞台やスッポン、花道、桟敷席、桝席、奈落など江戸時代の歌舞伎小屋の典型的な造りを備えており、往時のまま使用できるのです。八千代座の舞台に立ってみるとわかりますが(見学可能)、天井の広告や桟敷席、花道など、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような錯覚を覚えます。

ですから、舞台役者なら、一度は立ってみたいと思うのでしょう。玉三郎は90年に八千代座での最初の公演を行います。息をのむほど美しい女形が名も知らぬ田舎町で公演するとあって、日本中の話題になりました。

おかげで、八千代座もひとに知られるところとなり、以後、玉三郎はほぼ毎年、ほかにも片岡仁左衛門、故中村勘三郎、そして最近は市川海老蔵がやってきます。

今年も101214日、「古典への誘い」というタイトルで海老蔵の公演が、1029日~113日で玉三郎の「特別舞踊公演」が予定されています。料金はS席が海老蔵12000円、玉三郎18000円、とちょっと高めですが、八千代座見学、温泉三昧もかねて、秋の旅の予定にいかがですか。ただし、チケットは72日(海老蔵)、3日(玉三郎)発売されますので、くれぐれも早めのご購入を。

そしてこれも、立派な被災地支援なのです。

徳丸のり子 

 

 

 

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2017年

5月

22日

熊本便り 8

「がまだせ、熊本」

 

地方には地方ならではの方言がありますが、熊本弁はかなりユニークで、面白い言葉がたくさんあります。真偽のほどは定かではありませんが、一説によると、熊本弁は「かわいい方言」で全国2位なのだそうです(ほんとかな)。

そんな熊本弁を少し紹介しましょう。わたしがもっとも好きな熊本弁のひとつが「むしゃんよか」です。これは「かっこいい、見栄えがいい」という意味で、漢字で書くと「武者ん良か」。語源は「武者姿がいい」ということでしょう。「あーたはたいぎゃなむしゃんよかねー(あなたはたいへんかっこいい)」と言いますが、この言葉は建物などにも使われます。「熊本城はどこから見てもむしゃんよかー」などです。

 そして、この武者という言葉は熊本では今も日常的に使われています。熊本城の石垣は「武者返し」、人気のお菓子も「武者がえし」なのです。ですから、熊本城の石垣をつくった加藤清正もいまだに根強い人気で、「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれて慕われています。

ところで、「むしゃんよか」の「よか」はじつはとても使い方がわかりにくい言葉で、使いかたによっては「いい」でもあり、「いらない」という意味でもあります。「よかたい」と熊本のひとはよく言いますが、そのときのニュアンスで「いいでしょう」という意味でも、「よくないでしょう」という意味でもあるので、注意が必要です。

ほかにも、「むぞらしか(かわいい)」「いっちょんすかん(まるっきりいや)」「なんとんつくれん(ばかばかしい)」「とつけむにゃー(途方もない)」「とぜんにゃあ(さみしい」」「きなっせ(来なさい)」など、まあたくさんありますが、40年以上も熊本を離れていると、聞いて意味はわかるとしても、その言葉は使いこなせなくなっているわたしがいます。

といっても、わたしの連れ合いは「あなたはどこへ行っても熊本弁を使っていた」と言います。言葉は標準語を使っていても、アクセントは熊本弁だったのだと。そういえば、見知らぬ人にもよく「九州出身でしょう」と言われます。学者によれば、9歳のとき住んでいた地方のアクセントは一生残るといいますから、さもありなんというところでしょう。

 さて、最後に「がまだせ、熊本」「がまだすばい、熊本」

 昨年の大震災以降、あちこちに見られるポスターに書いてある言葉です。「がまだす」とは熊本弁で「働く、精をだす」という意味です。

熊本のひとは、ほんとうによく働きますが、この言葉に多くのひとが励まされ、自分を鼓舞して頑張ってきました。いまも現在進行形ですが、やはり熊本には熊本弁がしっくりくるようです。

 

 

徳丸のり子 

 

 

 

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2017年

4月

23日

熊本便り 7

 

「熊本の子どもたちにプール用タオルを」

 

 早いもので、熊本地震から丸1年です。

テレビや新聞等で「あの日から1年」という特別番組が組まれていますから、ご覧になったかたも多いことでしょう。マスコミで報道される情報はそれとして、実際の現場でのニーズはなかなか届かない場合もあります。

とくに、子どもの声は小さいので、よほど耳を澄まさない限り、おとなの耳には届いてきません。

しかし、ちゃんと現場に入り、住民のニーズをしっかり捉えているひともいます。よこはまチャイルドラインで受け手としても活躍しているOさんです。東北大震災ではいち早く石巻に行き、住民の集まれる居場所を立ち上げ、いまなお支援をつづけ、熊本地震でも当初からボランティアをやっていらっしゃいます。

Oさんと熊本の話をしました。熊本にいながら、なにもできずにいるわたしとは違って、Oさんはその日も避難所の花見のお手伝いをするということでした。ボランティアをしているという気負いもなく、さりげなく、あくまでもさりげなく、さらりと被災者に寄り添うOさんに打たれました。

思わず、わたしにも何かできることはないかと尋ねると、Oさんは間髪を入れず、

「あのね、これからプールが始まるでしょ。被災者のひとは水着とかバッグは買えるけど、子どもをすっぽりと包むバスタオルは買えないのよ。それ贈ったらどうだろう」

「そうなんだ、すごいね、Oさん。そんなこと、現地に入ってみないと、わからないことだよ。ありがとうね、そうしよう」

「うすいタオルでいいから、できるだけたくさん買って。そうしたら、縫うのは任せて、石巻のひとに頼むから」

「じゃあ、チャイルドラインのひとにも声をかけてみようかな。タオルだったら、あまっているひともいるだろうから」

「グッドアイデアね。だったら、『よこはまチャイルドラインから』と送るカードに書きましょう」

ものの2分で、話は決まりました。実行するひとは話が早いのです。どうしよう、こうしよう、と悩む前に、すぐに道筋が決まるのです。

というわけで、熊本の子どもたちにプール用のバスタオルを送りたいと思います。自宅にあまっているバスタオル、タオル、はありませんか。(※新品のタオルをお願いします)

よかったら、ぜひ、ご協力ください。受け手として入るときでもいいので、事務局までお持ちいただけると助かります。

わたしはOさんに少しばかりの心配をして、「お金のほうは大丈夫なの?」と聞いてみました。Oさんは高らかに笑いながら、「うーん、どうしようかねえ。ははは」。

ひとってすばらしいなあ、とあらためて実感しました。Oさん、出会えてよかった。

 

徳丸のり子 

 

 

 

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2017年

3月

17日

熊本便り 6

「おいしい大根ステーキの話」

 

 

 春3月。横浜よりひと足先に春が来る熊本です。

 きょうは、熊本の野菜の話です。熊本のトマトは有名ですが、しいたけ、菜の花、ごぼう、キャベツ、めずらしいところでは祝蕾やむらさき白菜、わさび菜やビタミン菜などほかの野菜もとてもおいしく、びっくりの幸せを感じています。

 栽培農家のひとの野菜にかける思いもすばらしく、感動すら覚えます。たとえば、わたしは、わさび菜はかわいらしい葉のところをちぎってサラダや飾りに使ったりしていましたが、栽培農家のひとから、くきはご飯に入れて炊いたらすてなくていいでしょう、と言われ、なるほどとうなりました。

 しかし、ときに困ることもあります。野菜を栽培すると、どの農家も収穫は同じ時期に重なるので、野菜をいただくことが多い我が家では、売るほどにたまってしまうのです。大根など10本を超えてしまったこともあります。こちらのひとは、ひとがいいのかそうでないのか、たとえ目の前に大根があっても、うちの大根をどうぞ、とくださるのです(わたしはこころのなかでは、はあ、みろよこの大根、どうすんだいと思っていますが、顔はにこにこ)。

 また、野菜の調理法も教えてくださって、すごく参考になります。そのなかから、使えるものをひとつ紹介します。

 「大根ステーキ」です。まず、天気のいいときに1センチくらいの輪切りにした大根を天日で干します。じつは、この手間が大事で、クックパッドには載っていません。手でさわってみてふにゃふにゃだったらOK、固かったらあと半日くらい干します。この手間が、びっくりするほどの大根の甘みを引き出すのです。ただ、干し過ぎるのはNGですから、気を付けて。

 その後、酒をふりかけてココナッツオイルかバターで蒸し焼きにして、おいしい醤油で味と焦げ目をつけます。

 最後に、お好みのチーズ(できればモッツァレラ)を載せて、オーブンで焼けばできあがり。大根とチーズの間にベーコンや牡蠣を載せて焼くとりっぱな主菜になりますよ。

 おいしいので、ひとり3個4個はいけます。おためしあれ。

 

 

 

 

徳丸のり子

 

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2017年

3月

08日

ご協力ありがとうございました!

3月3日~5日の3日間、横浜赤レンガ倉庫で行われた パンのフェスタ にて、いつもお世話になっている全国共済さんが よこはまチャイルドラインのカードを来場者の方々へ配布してくださいました。

ご協力に感謝いたします!

今後ともよろしくお願いいたします。

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2017年

2月

22日

「季望の会」で講演を行いました

去る2月17日、古川なおき様のお招きにより、季望の会ランチミーティングのお席にて、代表 徳丸のり子が講演を行いました。

横浜市内の企業関係者の方々と交流を深めさせていただく良い機会となりました。

未来を担う子どもたちの問題について、今後とも皆さまと一緒に考えてまいりたいと思います。

2017年

2月

17日

熊本便り 5

熊本はすこぶる寒いのですが

 

熊本は九州地方にあり(当たり前なのですが)、日本列島のなかでは南にあるので、

冬は雪も降らず、もちろん横浜よりあたたかいと大半のかたが思っていらっしゃるのではないでしょうか。

はっきり言って、それは大間違いです。とくに、熊本県は内陸性気候ということもあり、夏は暑く(信じられないほどです。昨夏、わたしは夏バテで大好きなビールも飲めなくなりましたから)、冬は寒いのです。横浜より、はるかに(うーん、横浜は住みやすいです)。

とくに2月は雪こそ少ないものの、きわめて寒く、庭の水道が凍結しないように、毎晩水道の水を出しっぱなしにして寝るのが当たり前ですし、田んぼや畑の朝は一面真っ白の霜です。そして、北風にさらされる身は信じがたいほど痛いのです。

にもかかわらず、こちらのひとはほとんどエアコンを使いません。暖房といえば、炬燵が主で、ほんの少し石油ストーブを使う程度。ですから、一軒家の、広い家のなかも驚くほど気温が低く、信じられないほど寒いのです。しかし、みんな寒さに耐えています。わたしにはそうとしか映らないのですが、みんな口々にこう言います。

「エアコンつけると、気持ち悪かー。それに、体がダメになるとよ」

はあ、「えっ」と思いますが、つまりエアコンを使ってあたたかい環境にいると、体がそれに慣れてしまって、軟弱な体になってしまうというのです。親がそういう考えだと子どもたちもそれがふつうだと思うので、エアコンのない暮らしが当たり前になっています。だから、子どもたちのほっぺはりんご色で、いつも元気いっぱいなのかもしれません。

しかしもちろん、都会暮らしに慣れたやわなわたしは、エアコンはもちろん、電気ひざ掛け、石油ストーブ、など総動員していますが、

「だから、ダメなんよ。いまに風邪ひくよ」

と、友人から注意勧告を受けました。

そんな馬鹿な、と思っていましたが、これまで病院とはほとんど無縁だったわたしはこの冬、久しぶりに風邪をひき、それをこじらせてしまい、ひどい肺炎になってしまいました。嗚呼。

それを知った友人曰く、「ほらね。エアコンがいかんとよ。もっと、体を鍛えんといかんよ。暮らしていけんよ」

えーっ。はあ。そんな馬鹿な。いったい、この状況をどう考えればいいのでしょうか。すこぶる難題ですが、地方のひとがたくましい理由がちょっとだけわかったような気がしたのでした。

 

(しかし、わたしにはいまさら無理だとこころが叫んでいます)

 

 

 

 

徳丸のり子 

 

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2017年

2月

15日

熊本便り 16

 巨星が落ちた

 

 ここに1枚の写真がある。20代のころの石牟礼道子さんである。笑顔がじつに美しい。石牟礼さんは胎児性水俣病の子どもたちを前にして、透き通るような笑顔を見せている。

 210日、寒い朝。熊本が誇る世界的文学者、石牟礼道子さんがついに召された。90歳だった。パーキンソン病に苦しみながらも、死の直前まで絞り出すようにことばを紡ぎつづけてきた。

 同じ熊本県に生まれながら、恥ずかしいことにわたしは水俣病についてくわしく学ぶことはなかった。学ぼうと思えば、すぐ近くにそれはあったはずなのに、愚かなわたしは見向きもしなかった。ひとえに、わたしの不徳の致すところなのだけれど。ずっと後になって、会わせたい人がいる、と知人に言われ、それが石牟礼さんだったのだが、そのときも会えずじまいだった。

 石牟礼さんは、「のさり」「のさる」という考え方を大切にしたひとだった。「のさり」とは、天から与えられるものという意味で、水俣病も究極的には「のさり」なのだと。水俣病を単なる公害病ととらえるのでなく、もっと深いところで人知の及ばないちからが働き、天の配剤だったのだと。そして、苦しむ患者や漁師を決してみじめな存在ととらえるのでなく、荘厳な光を放ついのち、と深い敬意を払っていた。だから、内容に反して、『苦海浄土』のことばは美しく、光を放っている。

「水俣のお年寄りは子どもをほめるときに『魂の深い子じゃね』と言います。『勉強ができる子』とは言わない。要は、人様を思いやることができるのかどうか。そういう心根の優しさをどうやって身につけていくかでしょう」(石牟礼語録より)

 石牟礼さんこそ、魂の深い深いひとだった。なにがあっても決してぶれることなく、しなやかで強靭で、弱いひとの傍らで、ひたすら寄り添いつづけてきた。水俣病の患者さんにとって、そして多くのひとにとって、大きな大きな星だった。

 水俣病を語れるほどにわたしはないけれど、ひとつだけ言えることがある。石牟礼道子さんは、わが熊本に「のさった」ひとだったのだと。いや、日本に、世界にと言ったほうがいいかもしれない。水俣病とともに、「のさった」ひとだった。

 最近の石牟礼さんの写真もある。20代のころのような凛とした美しさはないけれど、しかしやっぱり美しい。まなざしがやさしくてあたたかで、どこまでも美しい。

 石牟礼さんの残したものはあまりにも大きいが、せめてわたしもできるだけのことはやりつづけようとしみじみ思う。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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