• よこはまチャイルドライン
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2019年

5月

14日

ドキュメンタリー映画 「がんと生きる 言葉の処方箋」 

昨年度、よこはまチャイルドラインで講演をしてくださった がん哲学外来の樋野興夫先生のドキュメンタリーが映画となって公開中です。

5月12日朝日新聞朝刊天声人語にも取り上げられています。

関東圏内では、5月16日まで新宿武蔵野館で公開されています。

5月から6月にかけて、名古屋、大阪、京都で上映予定とのことです。

詳細は 公式HP をご覧ください。

 

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2019年

4月

22日

研修報告

  4月13日、滝田衛先生による「引きこもり・不登校の支援」の研修を実施しました。

当日は、受け手の皆さん、他、総勢40名近くの方々にお集りいただきました。

 滝田先生のお人柄がうつったかのような、終始和やかな笑いありの研修でしたが、内容はしっかり!不登校、ひきこもりの現状や先生ご自身のご経験など、実際のお話から「支援とは何か」のヒントが得られました。

 

 「Be you」 ありのままの君でいいよ。

 

支援に携わっている人間が、ここをきちんと心の柱に持っていれば、おのずと子どもたちと向き合い、共に生きていく支援ができるのではと思いました。

 

先生、そしてご参加いただいた多くの皆さまに感謝申し上げます。

 

 

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2019年

4月

01日

熊本便り 27

 

  「地域って、ほんとに大切です」

 「先生」         

 そう呼びかけられると、なにかを思い出したように義父は「はっ」とした表情をみせる。わたしたちがいくら「おじいちゃん」と呼びかけても、なんら反応がないのに、である。

 ここは、町内にある特別養護老人ホーム。昨年めでたく100歳を迎えた義父が2年前から入居している。町内にあるので、職員も入居者もみんな顔見知りで、義父を若いころから知っている。職員はもちろん、義父が地域で獣医としてばりばり働いていたころ、まだ子どもで、りりしかった義父の姿を覚えているのである。だから、「先生」と呼びかけるのだ。

 認知症をわずらっている義父も、昔のたいせつな記憶はまだ残っているらしく、「先生」と呼ばれると、若かった自分を思い出すのだろう。「はっ」とする表情は、瞬時に正気のそれに戻るのである。

 なんといい介護なのだろう、としみじみ思う。都会では、どんなに手厚い介護と言っても、こうはいかない。そのひとの若いころの姿を知っている介護者は、ほとんどいないに違いない。わたしも、義父の介護をみることがなかったら、それが当たり前だと思っていた。しかし、そのひとの若いころを知っているひとがお世話するのは、やっぱりいい。

 そのホームが、ひとつの大きな家族のようで、いつもあたたかい雰囲気があふれている。お互いに知り合いなので、自然、介護もやさしいふるまいになる。こんなホームで最期を迎えられたら、本当に幸せだと思う。

 じつは、このホームには「先生」と呼ばれるひとがもうひとりいた。わたしの小学校のときの先生で、99歳だった。そう、ほんの数日前、亡くなられたのだ、このホームで。

 「本当に、ホームがひとつの家族のようで、あたたかく、でも、家族にはできないようなことまでやっていただいて、至れり尽くせりでした。最期の最期までおせわになりました」

 もう70歳をすぎている娘さんが、感慨深そうに話される。

 「寝たきりになっても、ずっとおせわになりました。わたしたちでは面倒見切れませんしね。地域のホームでなかったら、こうはいかなかったと思います。母も安心して、ゆたかな老後を送れました、『先生』とみなさんに最後まで呼んでいただいて。きっと、母がもっとも輝いていたときを思い出して、満足だったと思います」

 「地域って、ほんとに大切なんですね。若いころはわずらわしいと思ったこともありましたが、最期は地域です」

 理事長が地域で開業している内科医なので、ホームで看取ることも可能なのだ。しかも、その先生はていねいで、だれにもやさしく、地域で信頼されているのである。

 わたしは、ときに学習会などで「子育てにとって、地域がなくなったのはとても大きく、子どもにもあまりよくない」と話しているが、老人にとっても地域がなくなるというのは、さみしいことなのである。

 「うーん、わたしもここで面倒見てもらおうかなあ」と言ったら、

 「職員だって、みんまそう思っているんです。そうかんたんには入れませんよ」

 と、スタッフのかたにしっかりくぎを刺された。

 

 

 

徳丸 のり子 

 

2019年

1月

23日

熊本便り 26

 

  「いだてん」をよろしく

 

 今回の年末年始はいつも以上にあわただしくて、わたしの好きな「ぼーっとする時間」はほとんどなかった。家族が全員集まると、3度の食事もたいへんである。おまけに「お正月」だし、そのうえきゃつらは「きっとすこぶるおいしいものを食べさせてくれるはず」と意気込んでやってくる。そして、わたしはその期待にきっちり応えようとするのだから、忙しいはずである。

 だから、麻雀も半チャンしかできなくて、それもハコ点に近い結果となり、雀士の名折れとなった。「お母さんは弱くなった」ともっぱらだったらしいが、違うもんね。ただ疲れていただけだもんね。

 そして、13日午後610分。熊本県を震源とする地震が起こった。最大震度6を示したのは、隣町のあの「和水町(なごみまち)」。もちろん、ここ山鹿市も震度4強で、かなり「ずしん」ときたらしいが、わたしは家族全員が帰った後、ゆっくりと近所の温泉につかっていたので、「あれ、もしかして」くらいにしか感じなかった。たいしたことない、と思ってテレビをつけると、日本全国大変なことになっていた。「震度6」の地震が起こると、おそらくマニュアルがあって、そのとおりに動くのだろう。官房長官も知事も会見していたけれど、ふーんという感じだった。

 ニュースは何度も何度も「和水町」を連呼している。もちろん、NHKも。

 何を言いたいかって。この年末年始、NHKは大河ドラマ「いだてん」の番組宣伝に必死だった。時間が空くと、「いだてん」「いだてん」・・・そこまでやるかというくらいに。

 じつは、「和水町」はいだてんの主役である「金栗四三」の生まれ故郷だ。NHKは地震のニュースのときに、きっと「和水町はいだてんの主役の故郷です」と付け加えたかっただろうし、おそらくこれは景気づけの地震なのか、と思ったのではないだろうか。もちろん、被害がほとんどなかったし、震度6は和水町という狭い地域だけだったから言えるのだけれど、それくらい地元でも「いだてん」は盛り上がっていないのである。

 昨年の大河ドラマ「西郷どん」ですら、歴代ワースト3に入るくらいの視聴率だった。あの誰もが知っている人気者、明治維新のヒーローが主役で、林真理子の脚本の出来もすばらしく、名だたる俳優陣が出演していたにもかかわらず、である。

 翻って、いだてんの主役は決して有名ではなく、そんなにおもしろそうな話でもない。したがって、NHKは必死で番宣しているのではないのか、と思ってしまう。

  しかあし、である。綾瀬はるかが自転車に乗って走る場面、勘九郎が川で泳ぐ場面、ごらんになっただろうか。番宣にも、よく使われていた。あれは、なんとうちの近所で撮影されたものなのでーす。はい、うちはものすごく田舎で、近代的な建物もなく、川も昔のままそのものが残っているところがあるので、きっと選ばれたのでしょう。ただ、撮影時、道路にはトラックで砂利を入れ、カーブミラーなどは映像技術でカットされていました。

 わたしの家は、そんな田舎にあります。「いだてん2回」を見ると、よくわかります。ドラマ撮影はうちの近所だけでなく、熊本県のあちこちで行われました。

 そんな熊本ゆかりの大河ドラマが史上最低の視聴率にならないよう、どうぞ「いだてん」をよろしくお願いします。

 

徳丸 のり子 

 

2018年

11月

29日

熊本便り 25

 

「おまえもか、ブルータス」

 

友田明美さん。小児神経科医。最近、テレビ、新聞、雑誌などに引っ張りだこで、ご存じのかたも多いと思う。なぜ引っ張りだこなのか。

暴力や暴言など親の不適切なかかわり(マルトリートメント)は子どもの脳を傷つける、ということを世界で初めて実証したのが友田さんだ。厳しい体罰を受けた人は、学びや記憶にかかわる「前頭前野」が委縮し、暴言を受けた人はコミュニケーションのカギを握る「聴覚野」が変形し、家庭内暴力(DV)を目撃した人や性的虐待を受けた人は「視覚野」が縮小するという。つまり、見たくない聞きたくないという情景の詳細を見ない聞かないですむように脳の中で適応が行われているというのだ。

虐待が子どもに与える影響は決して小さくない、ということはなんとなく理解はしていたものの、ここまでしっかりと研究実証されると、その影響の大きさにがく然とする。

では、傷ついた脳はどうすればいいのか。友田さんは、「癒せない傷はない」「親が変われば、子どもが変わる」が信念だ。なので、小児神経科医ながら、親への支援も手厚い。勤務する「福井大学子どものこころ発達研究センター」には全国から悩める親子が訪れる。

と、前振りが少々長くなったが、先日事務局のBさんからメールをいただいた。

「先日NHKのプロフェッショナルに、医師の「友田明美さん」という方が取り上げられていました。虐待で傷ついた子どもの脳を科学的に研究している方です。語り口が徳丸さんそっくりだな・・・と思っていたら、ご出身が熊本、まさに熊本大医学部ご出身でした。1987年ご卒業だそうです。やっぱり徳丸さんの喋りは熊本弁だったんだとびっくりしたので取り急ぎです(笑)」。

あっはっはっは。そーだよん。ていうか、わたしもプロフェッショナルを見ながら、「友田さんって、熊本弁丸出しじゃん」とひそかに思っていて、こともあろうに「まさか自分も」なんて思いもしなかった。いやあ、おめでたい、おめでたい。まあ、わたしもちょっとぐらいはみなさんとアクセントが違うだろうなあ、くらいは自覚していたが、友田さんほどだったとは、驚きだ。だって、友田さんは大学卒業後、鹿児島や熊本で仕事をしていらっしゃって、わたしは大学卒業と同時に熊本を離れているので、ちょっとぐらいは訛りが抜けているのでは、と期待していたのである。

でもね。やっぱりね。生まれは隠せない。一説によると、9歳のとき、住んだ地域の言葉は一生ついて回るのだという。それに、同じ九州でも、なぜだか熊本弁のアクセントはちょっと他県と違うような気がする。福岡や大分や長崎、佐賀といったところは、あまりアクセントがきつくなく、さらりと標準語になじんでいる人が多いのではないかなあ。

でも、まあ、仕方ない。熊本出身の女医さんが世界的な研究を成し遂げたことは同じ熊本県人として誇らしく思う。頭とやってきたことの中身は全然違うけれど、同じ熊本弁を話すなんて、ふふふふ。

おまえもか、ブルータス。

徳丸 のり子 

 

 

 

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2018年

11月

12日

みんな de あそぼ 終了しました

 11月3日(祝)馬車道まつりアートフェスタ2018 の最終日、「みんな de あそぼ」のワークショップを全国共済ビルの地下の 馬車道プラザみらいにて開催しました。

昨年に引き続き2度目となった今回のワークショップですが、約100名近くの方々にお越しいただき、折り本作りに参加してくださいました。

「あ、チャイルドラインって知ってる!」という子どもたち。

「チャイルドライン・・・?初めて聞きました」と仰る保護者の方。

6色クレヨンセットのプレゼントに加え、おとなの皆さまには情報誌やパンフレットを差し上げました。

普段はなかなかお会いできない方々へ、私たちの活動を直接お伝えできるとても良い機会になったと思います。

後半のスター☆ジャンのショータイムでは、防犯教室とチャイルドラインに関するロールプレイを皆さんと一緒に楽しみました。

スター☆ジャンとの写真撮影では行列ができるほどの盛況ぶりで、多くの方々に喜んでいただけたようです。

ご参加してくださった皆さま、イベントにご協力してくださった関係各所の皆さまに改めて感謝申し上げます。

 

 

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2018年

10月

24日

熊本便り 24

 

「あるいい女の話」

前回のコラムで、熊本のおなごについて、あんまりいい印象を書かなかったので、今回は熊本のおなごの名誉にかけて、すばらしい一面を書きます。

さて、わたしの知人夫婦は大学卒業後、就職と同時に故郷を離れ、55年もの長い間、関西に住んでいた。子どもにも恵まれ、人生を謳歌していたが、26年前、おくさんに乳がんがみつかり、摘出手術を受け、完治した(と思っていた)。その後は子どもたちも独立して、夫婦ふたり仲睦まじく暮らしていた。

ところが、2年前の春のこと、おくさんが風邪をひき、それがなかなか治らないので、病院に行ったところ、24年前の乳がんが再発していることがわかった。しかも、その時点ですでに肺やリンパにも転移していて、外科手術で治る見込みはゼロ。抗がん剤に頼るしかなく、その治療を受けていたが、今年の8月末、あの暑いさなかに熊本に引っ越してきた。昨年の春、わたしは関西までお見舞いに行ったが、おくさんが元気になって会いたいから、との理由で会えずじまいだったし、帰る早々、入院し、いまは緩和ケア病棟に入っている。

そんなこともあって、突然の帰熊は、ご主人がきっとおくさんに人生の最期のときをなつかしいふるさとの熊本で過ごさせよう、ということなのだろうと思っていた(みんなそう思っている)。

しかし、である。事実はまったく違って、逆だった。以下は、わたしとおくさんの会話。

「帰ってきて、よかったね。安心したよ」

「うん、そうやね。お父さんがもうすごい疲れててね。買い物からしないといけないし」

「慣れない仕事だもんね」

「そうなんよ。それに、お父さんは向こうではひとりも友だちもいないし。一日中テレビばっかり見てるんよ。わたしがいなくなって、お父さんひとり、あんなとこ置いておけんでしょう。だから、わたしが帰りたい言うてお願いして、無理して帰ってきたんよ」

「えーっ」

8月は暑かったけど、動けるうちに帰らんと、もう帰れないと先生に言われてね」

「そうだったんだ。ご主人は知ってるの、そのこと」

「どうかなあ、知らないと思うよ。でも、それでいいのよ。恩着せたくないし、わたしはもうそんなに長くないからね」

話は聞いてみないと本当にわからない。ご主人をひとりで関西に残さないために、新幹線の車両に1台しかない寝台に寝て帰ってきたのだ。おくさんがどうしても帰りたかったわけではない。むしろ、関西に残りたかったかもしれないのだ。友だちもたくさんいる関西に。しかし、家も処分するという。

もしかしたら、酷暑のなかので移動はいのちを縮めたかもしれないし、ご主人はおくさんの最後の願いを聞いてあげたなんて思っているかもしれない。でも、おくさんの心残りは、そしてご主人への最後の愛情は、しっかり遂げられたのだ。それこそ、ひっそりと。

うーん、すごいなあ。おくさんは黙って逝くつもりらしいが、しかしわたしは、必ずご主人に話す。死出の病にあっても、ご主人のことを思ったおくさんのすばらしさを。

あ、でもこれって、熊本のおなごだから、ということはないか。いい女だなあ、ホントに。

 

徳丸 のり子 

 

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2018年

9月

24日

熊本便り 23

 

熊本ラーメン紀行

 いま、ラーメンが嫌いというひとがいるだろうか。おおかたの日本人はラーメンが好きと思われるが、ラーメンにもいろいろある。塩ラーメン、しょうゆラーメン、味噌ラーメン、そして、とんこつラーメンである。

もちろん、熊本ラーメンはとんこつである。いまでこそ全国区になったとんこつラーメンはどこに行っても食べられるが、まだわたしが若いころ、つまり上京したてのころはとんこつラーメンなど首都圏にはほとんどなかった。ラーメン食べたいなあ、と思ってもしょうゆラーメンしかなく、泣く泣くがまんしていた。そのうち、熊本の名店、桂花ラーメンが新宿に出店し、わざわざ新宿まで足を運んだものだった。

時は移り、新横浜に「ラーメン博物館」がオープンしてからは、ラーメンを取り巻く環境ががらりと変わった。もちろん、ラー博にも熊本ラーメンはある。その名も「こむらさき」。わたしが学生時代、よく通った店だ。うれしくなって、オーナーの岩岡さん(五大路子さんの弟)に話を聞いたところ、「全国2万店のラーメン店を回り、出店する店を決めました。熊本ラーメンはレベルが高く、なかでもこむらさきがよかった。しかし、店主が出店に同意せず、何度も足を運び、やっとお願いしたんです」とのこと。やっぱりな。桂花より麺が細く、スープはあっさり味。熊本の本店は、いまでも500円という安さだ。

ところで、とんこつラーメンといえば、博多も有名だが、熊本とちょっと違う。熊本ラーメンに比べ、あっさり風味のスープで出される店が多い。麺は極細のストレートのため伸びやすいので、麺の量が少なく、替え玉することが前提になっている。

熊本ラーメンは、麺は博多ラーメンほど細くなく、スープはとんこつだが、だしとして使うのは豚の頭だけ。鶏ガラをブレンドするのがベーシックで、マイルドで香りも良い。そして、味にアクセントを加えるのが「マー油」だ。これは、にんにくを揚げた油のことで、スープに混ぜるので、スープの表面に黒い色をしたマー油が浮かんでいて、にんにくの香りも半端ない。これが強烈な個性を発揮し、食欲を倍増させる。また、ラーメンにトッピングされているきくらげもこりこりして美味だ。

 熊本の有名店としては、先の2店はもちろん、「黒亭」「天外天」「大黒」「味千」などがあるが、わたしのなかの名店は違う。地元、山鹿市の「八千代ラーメン」。帰省すると、まだ実家にたどり着く前に、このラーメン店に直行していた。味は、こむらさきに似ているけれど、似て非なるもの。もっと、こってりしているけれど、でも、すっきりした味で、スープと麺の調和がとれていて、とてつもなくおいしい。が、が、が、悲しいことに、この店はつぶれてしまった(2代目が夜逃げした)。もうあのラーメンを食べられないと思うと、ものすごく悲しい。

 先日、有名な食のコンサルタントと話していて、世界中のおいしい店の話のあと、ラーメンの話になり、わたしが「なんといっても八千代ラーメン」と言うと、もう何年も前につぶれた店のことをそのひとも「わたしもです」というではないか。そして、ふたりしてあのすばらしい味を堪能できないことを嘆きあったのだった。

徳丸 のり子 

 

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2018年

9月

12日

学校地域コーディネーター・フォーラムへ参加しました

9月8日、今回で第6回を迎えた学校地域コーディネーター・フォーラムが磯子区の横浜市社会教育コーナーで開催されました。

よこはまチャイルドラインは、3回目から参加させていただいています。

午前の全体交流会では、子どもたちのために何ができるかという視点で、各団体と活発な意見交換を行いました。午後からは出展ブース会場をメインに、来場者の方々とも情報交流を実施。私たちよこはまチャイルドラインは、現在小中学校で行っている「出前授業」について詳しくご紹介させていただく機会を得ることができました。

こういった交流を重ね、学校、地域、企業の方々と連携させていただくことで、私たちだけではできないようなことも何か実現できるのではないかという、今後の活動に新たな力をいただいた一日でした。

 

2018年

8月

23日

熊本便り 22

 

熊本の「よかおなご」について

 

「Aさんのだんなさんは、食卓に箸が並べてないだけで、おごらすてったい(怒るらしい)」

「えーっ」

「だけん、Aさんはいつもいつもだんなに気をつかっとらす」

「いやー、Aさんはすごかね、やっぱり。わたしには真似できん」

「わたしにも」「わたしも」・・・

これは、ある会合でのわたし以外の参加者の会話である。これに対して、わたしはこころのなかでひとり、そっとつぶやく。

「いやいや、ちがうだろー。ここはAさんに感心している場合じゃなくて、勘違いのだんなを攻撃するところだろーが。殿様じゃあ、あるまいし、とね」

うーん。熊本のおなごはすごい。ついてゆけないわたしがいる。朝昼晩のご飯の支度(農業のひとは3度家でご飯を食べる、ついでにおやつも)後片付けから、家の掃除(わたしの夫が掃除機をかけているのを見て、目ぱちくりされた)、洗濯、買い物、子どもの世話、もちろん夫とともに農作業もちゃんとやる、そして舅姑の世話、まあ、これをそつなくこなすのが当たり前だ。その間、夫は嫁を手伝うでもなく、ぼーっとしているらしい。

いわゆる「九州男児」がいまだに生きていて、「亭主関白」でいばっていることが男らしいことだと、男も女も信じて疑わない。どんなに嫁が忙しくしていようと、手伝うなんてもってのほか、男がすたる、と思っているのだ。そして、嫁がミスでもしようものなら、大声でどなり散らす輩もいる。嗚呼。

一方、嫁いわゆる熊本のおなごは、こうして男を支えることが女らしいと盲目に信じこんでいる。そして、いつも一歩下がって、決して男の前には出ず、文句ひとつ言わない。まあ、みんながみんなそうとは言わないけれど、そして表面では男を支えているようにみえて、陰で舌を出しているひともいないではないけれど、嫁としての仕事を完璧にこなすことが、できる女だと思っているのだ。まあ、できるといえば、できるけれどもね(ちょっとひがみ?)。はっきり言って、できる「よかおなご」が「できないダメ男」をつくっているのがわからないのかねえ。嗚呼。

そして、「よかおなご」はつぶやく。「うちのだんなはわたしがいないと、なあんにもできん。私が死んだら、どうするんだろ」。しかたがないだろう、あんたがそうしてるんだからねえ。また、「よかおなご」はわたしのように「できない女」に対してちょっと嫌味を言い放つ。

「草取りもお姫さまのようだし、スカートなんか穿いてるし、それで仕事ができるわけなかろー」

はいはい、どうもすみませんね。

周回遅れ、という言葉があるけれど、周回遅れどころか、100年単位の遅れじゃあないだろうか。男女同権、という言葉はここでは死後に近い。平成も来年で終わるというのになあ。うーん、どうしたらよかんべ。

 

徳丸 のり子 

 

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2018年

8月

23日

熊本便り 21

 

「ベイスターズ観戦記」

 

 これは「熊本便り」なのだけれど、それをも上回る体験を横浜でしたので、今回はそのことについて。

 ああ、びっくりである。しかし、すんごくうれしかったし、勉強になった。やり方ひとつで、こうもひとは変われるのだと。

 ひとむかし前のベイスターズも強くはなかったけれど、それよりなにより、お客さんが入らなくて、赤字続きで、売りに出される始末。大洋からTBS、そしてDeNAへと。

思い起こせば、十数年前、ベイスターズが優勝したときだけがすごく盛り上がり、そごうの前には「大魔神神社」もでき、多くの人がお参りに訪れた。しかし、ファンも根っからのファンではなく、にわか仕立てにすぎなかったので、あっというまに球場には閑古鳥が鳴くことになった。

そんな歴史を知るわたしとしては、ベイスターズをとりまく環境の変わりっぷりに「あっぱれ」を送りたい。とにかく、すごい。ひと、ひと、ひと、ひとの波。それも、多くがベイスターズのユニフォームを着ているではないか。もちろん、うちの娘一家も5人全員そろいのユニフォーム姿。バックネット裏のボックス席だったが、まわりももちろん全員ユニフォームを着ている。いろんなユニフォームがあることも知った。

「この席は取れないんだからね。苦労したんだ」そうだが、5900円の5人分で約3万円もするのに、「えーっ」である。この日の相手は中日で、以前なら客席はがらがらなのに、ほぼ満員。この日が誕生日の石井選手が打席に立つと、みんなで「ハッピーバースデー」の大合唱。看板選手の筒香が登場すると、盛り上がりは最高潮。いやあ、選手もやりがいがあるし、うれしいでしょうね。

そして、いつのまにか応援ソングが「DeNAベイスターズ」に変わっていて、みんな大声で歌っている。DeNA、やりますなあ。聞けば、市内の全小中学生にヘルメットをプレゼントしたという。うちのおチビちゃんたちも、帽子からユニフォーム、バット、メガホンまで揃えていて、まるごとベイスターズ。刷り込み効果できっと、おとなになっても生粋のファンでいるに違いない。DeNA、貧乏球団をみごとに建て直し、経済効果もさることながら、しっかりと横浜市民のこころをとらえているではないか。おみごと。あっぱれ。

こうして地元に根付き、市民のこころをひとつにするというのは、だれにとっても心地よいものなのだろう。広島にカープが、名古屋にドラゴンズが、福岡にソフトバンクがあるように、横浜にベイスターズ。考えてみれば、子どもも孫もふるさとは横浜。ベイスターズを通して、郷土愛にめざめてくれたら、しめたもの。ありがとう、DeNA。

時刻はやがて7時。茜色に染まりながら暮れなずむ空、美しいグランド、ベイスターズカラーに染まった客席・・うーん、いいなあ。なんだか、とっても幸せ。やっぱり、球場はこうでなくちゃ。ドームじゃないほうがいい。風に吹かれながら、いろんなことを思う。なぜだか、遠い日の若きころのよしなしごとが浮かんでくる。村上春樹が神宮球場の外野席で流れゆく雲を見ながら「小説を書こう」と思ったのも、さもありなんと思う。

 

 

徳丸 のり子  

 

 

 

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2018年

7月

09日

養成講座2018が始まりました

7月7日(土)より、子ども支援者養成講座2018がスタートしました。

52名の受講生を迎え、会場は満席となりました。

午前9時半から昼食を挟み、午後4時半まで。皆さん真剣に学ばれていました。

最初は緊張感に包まれていましたが、後半はワークを通し和やかな雰囲気に。

次回は7月21日(土)になります。

蒸し暑い日が続いていますが、まずは体調を整えて次回もがんばりましょう。

 

2018年

6月

20日

熊本便り 20

 

「短いあいだに・・・」

 

 約半月ぶりに熊本に帰ってみると、びっくりしたことがいろいろある。それを少し。

 まず、家じゅうのあちこちに蜘蛛の巣が張っていたこと。玄関、納屋はいうに及ばず、密閉度が高い建築のはずの家のなかにも蜘蛛の巣があった。ということは、蜘蛛が家のなかに隠れていたのだろうか。これぞ、「くもがくれ」。あ、ちょっと違うか。しかし、この辺りでは、蜘蛛は縁起のいい動物と考えられており、ねばねばの蜘蛛の巣もなんだかいとおしいから不思議である。

次に、庭が、ああ、庭が、草だらけになっていたこと。少なくとも2週間前までは草はあまりめだたないほどに手入れを怠っていなかったのに、あっという間に草は伸び放題になっているではないか。「この季節は雨が多く、気温も高いので、1年のうちでいちばん草が伸びるから」と、となりの奥さまはおっしゃるが、それにしても、ひとがいない家というのは、短期間にかくも荒れるものだろうか。全国で増え続けている「空き家」は、本当に大問題だろう。とくに、近所迷惑は計り知れない。

そして、農協の直売所に野菜を買いに行ったら、みごとに品物が様変わりしていた。2週間前は幅を利かせていたレタス類はほとんどなくなって、値段も高くなっており、代わって、きゅうり、トマト、なす、とうもろこしの大群が列をなしていた。トマトはなんと中くらいのが5個入りで100円という、びっくりぽんの安さ。

わたしは、ヤングコーンが大好物で、半分に切り、フライパンにオリーブ油をさして、白ワインで蒸し焼きにして食べる。とくに、ひげは格別においしいのである。2週間前はまだヤングコーンが走りで、小さかったので、帰って食べるのを楽しみにしていたのだが、もうかげもかたちもなかった。

 つまり、露地ものの旬とは、かくも短いのである。横浜のスーパーに行くと、だいたい同じような品物が同じような値段で売られており、野菜の旬の短さを感じることはあまりなかった。農家や流通業者の手間ひまを惜しまない努力のおかげとでもいえるのだろうか。

 

 この間、横浜では、1年に1度のチャイルドラインの総会が行われた。例年にもまして、真剣な空気が漂い、ひきしまった総会となった。遠く名古屋から駆けつけてくださった企業の社長さんもいらっしゃって、チャイルドラインが多くのひとに支えられていることをいまさらのように思う。

 そして、記念講演会「あなたはそこにいるだけで価値ある存在」。順天堂大学医学部教授でがん哲学外来の創始者でもある樋野興夫先生を迎えてのイベントも、こころにしみるものであった。先生のあたたかくてユーモアあふれる人柄、ゆるぎない信念、深い知識・・それらが一体となって、濃密であたたかい時間となった。さまざまな光る言葉があって、そのなかのひとつ、「人生は最後の5年が価値を決める」。

 えっ、「先生、死ぬ時がわからないのに、最後の5年はどうしたらいいのですか」との凡人の問いに、先生は珠玉の答えをくださった。「そう、余命がわからないのは人間だけなんですね。ほかの生き物はたいがい、自分の寿命はわかるんですが。はい、それは、きょうから5年です」。

 先生のすばらしいお話はいずれ、情報誌やホームページでもお伝えしますので、お楽しみに。

 

徳丸 のり子

 

 

 

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2018年

5月

22日

熊本便り 19

 

「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず」なのですが、昨今の河の流れは急激過ぎて、年を重ねた身にはついていけないものがあります。

 そのひとつが、子どもたちのコミュニケーションツールの変化です。いまの小中学生は生まれたときから、ネット環境が当たり前の時代であり、コミュニケーションの手段はメールが主流となっています。

「家に電話がないという子が多く、したがって電話で話したことはないという小学生もめずらしいことではありません」(キッズクラブスタッフのAさん)

うーん、そうなんですね。

チャイルドラインは電話で子どもの声を受け止める、のがおもなミッションですが、これは「メラビアンの法則」でもわかるように、かなしい、さみしい、うれしい、つらいなどの感情のコミュニケーションでは、声の大きさや声の質、話す速さや口調などの聴覚情報がすぐれており、その情報量はメールの比ではなく、それに、気持ちが落ち込んでいるとき、子どもたちのこころに届くのは、しっかり悲しみを受けとめてもらって、そのうえで「大丈夫よ」などの生きた言葉をもらうことだと考えているからです。

一方、メールは情報量も少なく、なりすましも可能ですし、ネット世代ではないわたしたちにとっては対応に苦慮することもあるでしょう。かくいうわたしも、いまだにガラケーオンリーというていたらくなのです。

しかも、この数十年、人間関係の質は低下し続けており、その原因のひとつにソーシャルメディアの濫用が挙げられることは言を待たないでしょう。多くの若者が直接、他人とかかわることを避けるようになり、より多くの時間をデジタル画面を見てひとりで過ごす、ということも少なくありません。

しかし、おとなが理想を語ろうと、子どもたちの生きる世界が激変し、電話で話したことがない子どもにいくら電話の有用性を説いても詮無いことなのではないでしょうか。もちろん、子どもたちに人間の体温をストレートに感じることのできる、ゆたかな電話コミュニケーションの魅力を味わってほしいと思います。これは、ひととして生まれた人生の醍醐味のひとつでもありますし、子どもたちがコミュニケーション能力を会得するための一助にもなりえるものですから。

そのことを深く理解し、であっても、わたしたちは現実を受け入れ、とまどいながら迷いながら、新しいコミュニケーションについてメールについて学びつづけていくしかないように思います。

もちろん、入り口はメールであっても、その先には「いま、ここ」のコミュニケーションである電話やフェイストーフェイスのコミュニケーションがあり、そこに子どもたちを導いてゆけるようにできればいいなあ、と思います。

 

 

徳丸 のり子  

 

 

 

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2018年

4月

22日

熊本便り 18

「さくらの季節に思うこと」

 

 今年は、ことのほかさくらの季節が早く訪れた。

 わたしは先月は、横浜のいつものところでお花見をした。

 美しい日だった。

 1歳の女の子が草むらにちょこんと座り、両手を合わせて微笑んでいる。8分咲きのさくらと春の陽光が女の子を照らし、ときおり散ってくる花びらが女の子のまわりを飾り、ほんとうに美しかった。ああ、こんなに美しいのを見せてもらったら、死ぬかもしれない、とふと思った。

 そして、熊本は今月初めが花の盛りだった。横浜に遅れること4~5日。だから、わたしはもう一度お花見ができたのだけれど、ここ山鹿市のひとは取り立てて、お花見などしないのである。お花見ができそうなところはたくさんあるのに、その下で宴会もできるのに、そんなことはだれもしないのだ。お弁当を食べているひとすら、いない。

 こちらでは、お花見とは、なにも持たずに、ただ花を見に行くことなのである。そういえば、昨年も満開のさくらの下で、おいしいお寿司とビールと焼き鳥をほおばっていたのはわたしたちだけだった。

 きっと、ふだんのくらしのなかにさくらはあり、特別にお花見などしなくても十分なのだろう。忙しいこともあるだろう。わたしはちょっとさみしいのだけれど。

 

 ところで、ここ山鹿市が不登校が少ない3つ目の理由を書かなければ、と思う。

 それは、山鹿市のおとなが子どもを大切にしているのかそうでないのかはわからないけれど、子どもたちの情報がすみずみまで行き届いていることにある。

 たとえば、市の広報の表紙の写真は子どもたちの折々の表情をとらえたものだし、表紙の「やまが」という文字は子どもたちが書いた習字だし、数ページを使って順番で保育園から中学校まで学校の様子が報告されるし、特集でさまざまな様子が掲載されることもある(不登校の少なさもこの特集で知った)。そして、回覧板では近所の小中学校の広報がまわってくるので、わたしのように子どももいなくて、ある意味部外者でも子どもたちの様子がしっかりと伝わってくるのである。

 結果、なんとなく子どもたちに親近感をおぼえ、近所の子どもたちの顔も名前もわかり、ともに生きているという感覚になる。そして、おとなはみんな手間を惜しまず、廃品回収など学校の行事に全面的に協力する。

 先日、市の教育長と市長に会った。不登校の少なさを話題に挙げると、

 「みなさんのおかげです。ありがたい」(市長)

 「なーん、(学校に)行かんとおごらるるけんたい(叱られるからだ)」(教育長)

 なんと、こう言いながら、教育長は不登校についてのNHKの特別番組に出演し、山鹿方式の話をしたという。やっぱり・・

 考えてみれば、山鹿市は自治体の大きさがひとが生きていくのにちょうどいいのかもしれない、と思う。横浜では市長や教育長に会えることなどないが、ここでは友だち言葉で話ができる(教育長は高校の同級生、市長は先輩)。子どもの情報が多いのも、ほかに話題がないから、とも言える。横浜では、話題が多すぎて、その気はあっても子どもの情報にまで手が回らないのだ。

 「大きいことはいいことだ」と、その昔流行ったけれど、大都市のほうがかっこいいのかもしれないけれど、大きいほうが税金が有効に使えることもあるのかもしれないけれど、

自治体の大きさも照準を合わせるなら、「ひとが生きてゆく」ということにこそ合わせるべきだと思う。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

3月

21日

熊本便り 17

「不登校が少ない理由」その2 その1はこちらからどうぞ

 

 「ひとは出会いで人生が決まるといっても過言ではありません。N先生には本当に感謝してもしきれません。いのちの恩人です」

 こう語るのは、中学生のとき不登校の経験をもち、現在は社会人として第一線でバリバリ働くA君のお母さまである。

 A君は中学2年生のとき、不登校になった。原因は不確かだというが、あまり学校が好きになれず夜遅くまでゲームに熱中し、翌朝起きられず、ずるずると学校を休むことになったという。

 そのときの校長先生がN先生だった。熱血教師として知られたN先生は生徒指導にあたり、「不登校ゼロ」をめざしたのである。当然、A君も熱血指導の対象となった。N先生、学級担任、A君の親は話し合いを重ね、A君の不登校の理由が「甘え」であることを確認し、強制執行に出たのである。

 当日、N先生は担任とともに担架を用意して、A君の家へ。説得に応じそうにないA君に業を煮やし、子ども部屋に入り、A君を担架に乗せて学校まで連れて行ったのだ。

「もちろん、安易に行動にでたのではありません。ここに至るまではA君をきめ細かく観察し、親とも入念に打合せして実行しました。親と教職員の力の結集です」(N先生)

「失敗したら、どうするつもりだったのですか?」

「失敗なんて考えもしませんでした。本当に子どものことを思ったら、その気持ちをぶつけるしかありません。これも子どもへの愛情なのです」

 その後、A君は少しずつ登校できるようになり、いつのまにか学校は不登校ゼロになった。そして、そのうわさを聞き付けたほかの学校の不登校の親が子どもを学校に転校させるようになったという。

 20年くらい前の話だけれど、うそのようなホントの話である。日本全国探しても、こんな先生いるだろうか。というより、いまどきこんなことが許されるだろうか。「子どもの人権」という美しい言葉が盾になって、子どもの嫌がることはしない、というのが順当な判断だろう。万が一、失敗でもしたら、それこそ大ニュースになる。人権侵害もはなはだしいと。N先生は表舞台から姿を消し、ひっそりと生きていくしかない。

 自分のことを子ども自身が選ぶ、ということはとても大切な考えだけれど、経験値が少ない子どもが自分で選んでゆくのは一方でかなり難しい面があるのも否めない。自由選択はもっともきついことでもある。信頼するおとなに「こうしなさい」と言われるほうが子どもにとってはたやすいこともある。

 いま、世間は必要以上に「他人に踏み込む」ことをしないのではないか、良くも悪くも。教師もリスクをとれなくなったし、表面をなぞり、なんとなく終わってしまう。もう少し、だれかが踏み込んで接してくれたら、不登校は引きこもりは脱していたかもしれない、という子どもや青年はもしかしたら案外多いのではないだろうか。踏み込むにはもちろん、覚悟と情熱と、なによりハートが必要なのだけれど。

 その後、N先生は県の要職を歴任し、今では某高校の副理事長を務める、現役バリバリの教育者である。齢80歳を超えるけれど。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

3月

21日

熊本便り 16

 巨星が落ちた

 

 ここに1枚の写真がある。20代のころの石牟礼道子さんである。笑顔がじつに美しい。石牟礼さんは胎児性水俣病の子どもたちを前にして、透き通るような笑顔を見せている。

 210日、寒い朝。熊本が誇る世界的文学者、石牟礼道子さんがついに召された。90歳だった。パーキンソン病に苦しみながらも、死の直前まで絞り出すようにことばを紡ぎつづけてきた。

 同じ熊本県に生まれながら、恥ずかしいことにわたしは水俣病についてくわしく学ぶことはなかった。学ぼうと思えば、すぐ近くにそれはあったはずなのに、愚かなわたしは見向きもしなかった。ひとえに、わたしの不徳の致すところなのだけれど。ずっと後になって、会わせたい人がいる、と知人に言われ、それが石牟礼さんだったのだが、そのときも会えずじまいだった。

 石牟礼さんは、「のさり」「のさる」という考え方を大切にしたひとだった。「のさり」とは、天から与えられるものという意味で、水俣病も究極的には「のさり」なのだと。水俣病を単なる公害病ととらえるのでなく、もっと深いところで人知の及ばないちからが働き、天の配剤だったのだと。そして、苦しむ患者や漁師を決してみじめな存在ととらえるのでなく、荘厳な光を放ついのち、と深い敬意を払っていた。だから、内容に反して、『苦海浄土』のことばは美しく、光を放っている。

「水俣のお年寄りは子どもをほめるときに『魂の深い子じゃね』と言います。『勉強ができる子』とは言わない。要は、人様を思いやることができるのかどうか。そういう心根の優しさをどうやって身につけていくかでしょう」(石牟礼語録より)

 石牟礼さんこそ、魂の深い深いひとだった。なにがあっても決してぶれることなく、しなやかで強靭で、弱いひとの傍らで、ひたすら寄り添いつづけてきた。水俣病の患者さんにとって、そして多くのひとにとって、大きな大きな星だった。

 水俣病を語れるほどにわたしはないけれど、ひとつだけ言えることがある。石牟礼道子さんは、わが熊本に「のさった」ひとだったのだと。いや、日本に、世界にと言ったほうがいいかもしれない。水俣病とともに、「のさった」ひとだった。

 最近の石牟礼さんの写真もある。20代のころのような凛とした美しさはないけれど、しかしやっぱり美しい。まなざしがやさしくてあたたかで、どこまでも美しい。

 石牟礼さんの残したものはあまりにも大きいが、せめてわたしもできるだけのことはやりつづけようとしみじみ思う。

 

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2018年

1月

16日

熊本便り 15

 なぜ?どうして?「不登校が少ない山鹿市」

 

 

 全児童生徒数に対する不登校児童生徒の割合は、全国平均1.26パーセントに対して、ここ山鹿市は0.4パーセント。なんと、3分の1以下である。これには必ず理由があるはずだと、ちょっと調べてみた。

 現役の先生3人に聞いてみると、みな一様に同じ答えが返ってくるではないか。

「それはね、養護のK先生のおかげです」

「えーっ、ひとりの先生?」

「そう、すごいんだから。転勤するたびにそこの学校から不登校がいなくなる。ひっぱりだこの先生です」

「そうなんですか、でもなぜ?」

「うーん、いろいろありますが、K先生が徹底しているのは、朝は必ず担任が児童名簿をもって、一人ひとりの名前を呼んで、顔を見て出席確認をすること。どんなに忙しくてもこれだけはやるべきだと」

 名前を呼ばれることによって、子どもたちは少なくとも1日に1回は先生と11のコミュニケーションがとれる、顔を見ることでその子の様子がわかる、気になった子は注意してみることができる、とのこと。このために、朝の職員朝礼もなくした学校が多いという。先生同士集まるより、子どもたちとのふれあいを大切にするべきなのだと。

「でも、決してK先生は無理強いしない。おだやかで、無理に学校に来なくてもいいという考えの持ち主なんです。でも不思議なことに、子どもたちは学校に来たがります」

「そうなんです。ぼくは昨年、クラス40人の生徒全員が無遅刻無欠席でした」

「わたしのクラスもそう」

「でも、インフルエンザとかあるでしょう」

「インフルエンザは出席停止で、欠席にはなりません」

「そんなに学校が好きなんですか?」

「さあ、それはわかりませんね」

 もう、びっくりである。そしてまた、全員が「肝は、先生とのコミュニケーションと生徒同士のコミュニケーションに尽きる」と言う。言われてみれば、まったくその通りなのだけれど。

 そして、市内でもっとも大きな中学校(生徒数700余名)に行った時のこと。学校帰りの生徒が校門を出る前に校舎を振り返り、一礼して帰っていくのを見た。それも、ほとんどの生徒がやっている。感動して校長先生に話すと、当たり前だというように、

「それは普通ですね。でも、だれも強要していません。生徒たちが自然にやっているのです」

 もちろん、人口が少ないとかほかにも理由はあって、それらが複合的にうまくかみあっているのだろうけれど、どうしてもあと2つふれたいことがあるが、紙幅の関係で次号に回します。

 

 2018年、おだやかでありますように。 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

12月

20日

熊本便り 14

 これって、「おんなの性(さが)?」

 

 この地で以前と大きく変わったことのひとつが、女性の暮らしぶりです。家事も電化がすすみ、自由になる時間も増え、ひとりに1台という車事情も手伝って、習い事やスポーツ、食事会などで、女性の多くが積極的に外出して生活を楽しんでいます。

 そして、いつの世もなかなかにおもしろいのが女の友だち事情でしょう。

 「ねえ、あなたも入ってみない」

 都会帰りでひとりぼっちでかわいそう、とでも思われたのか、俳句や短歌、大正琴、ビーチバレーなどいろいろなグループからお誘いを受けました。うーん、おもしろそうと思っても、二の足を踏んでしまいます。

 というのも、多くのグループが毎月2,0003,000円とお金を積み立てているのです。自分たちの楽しみのために。つまり、積立金でみんなで食事に行ったり旅行に行ったりするのです。たいていの場合、グループには名前がついています。「イチゴの会」「ミーナクラブ」など、それなりのいわれもあって。まあどうでもいいんですけれどね。だれに迷惑かけてるわけじゃあないし、それはそれで美しい友情なのかもしれないし、単なるわたしのひがみかもしれないし。

 しかあし、わたしはどうしてもひっかかってしまうのです。みんなで食事をするとき、お金を出し合うとき、みんなのなかにある、排他的な仲間意識が垣間見えて、引いてしまうんです。

 「みんなで役員やったのがつきあいの始まり。もう15年も続いているのよ。こんなに仲いいのわたしたちだけかな」

 ふうん、そうかいそうかい、よかったじゃん。ほかのグループもたしかそんなこと言ってたよ。自慢スンナって。

 「わたしたち友だちだもんね、ずっと仲良くしようね」

 「よかった、この仲間に入れてもらって」

 じゃあ、仲間に入れないひとはどうするんだい。あんたのとなりにいるじゃあないか。声をかけろよ。

 「わたし、3つもグループに入ってるから、月々のお金もたいへんなの」

 でも、そう言うわりにはうれしそうじゃん。よかったね。

 という具合なんですね。お金を出すことで、自分の居場所を確認し、会ったらみんなで仲間であることを確かめ合う。はいはい、そうしなきゃあ、心配なのかい、とでも突っ込みたくなる。だったらひとりでいいさ、となるわたしです。

 考えてみれば、これってどこかであったような。そう、この構図には既視感があります。はい、小学校の、中学校の、高校の、あの女同士の集まりです。チャイルドラインにかかってくる女の子からの電話もこれに似たり寄ったりです。

 ということは、これって「おんなの性(さが)」なんじゃあないだろうか。うーん、そこのおばさん、もう60歳超えてるよね、成長してないなあ。

 

 そして、せっかくこうしてみんなが楽しんでいるのに、ああだこうだといちゃもんをつけるひとのことを、熊本弁で「肥後もっこす」といいます。

 はい、わたしは立派な「肥後もっこす」です。嗚呼。

 

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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2017年

12月

14日

ワークショップを開催しました!

 馬車道まつりアートフェスタ2017の最終日にあたる11月3日、全国共済ビル地下の馬車道プラザみらいにて、よこはまチャイルドラインのワークショップを開催しました。

子どもでも簡単にできる絵本作りをしながら、私たちの活動を知ってもらおうという初の試みでした。当日は、約300人の方に足を運んでいただき、絵本作りやご当地ヒーロー、スター☆ジャンとの写真撮影を楽しんでもらうことができました。

親御さんや大人の方へは、学校で配られる よこはまチャイルドライン のカードだけでは伝えられない私たちの活動の趣旨などをお話させていただく良い機会になったと思います。

また、私たちスタッフも、子どもたちと一緒に絵本作りをすることで、多くのことを学ばせていただきました。一生懸命に作っている子どもたちの姿は忘れることができません。

絵本を完成してくれた方に差し上げた パパブブレ のキャンディーは、大人の方にも好評で、絵本を完成させてくれた スター☆ジャン のお二人にもお土産に持ち帰っていただきました。

当日お越しいただいた多くの皆さまと、ワークショップ開催にあたり全面協力いただいた 全国共済 さん、子どもたちのヒーローとして応援に来てくださったスター☆ジャンさん、お土産のキャンデーをつくってくださったパパブブレさん、そして神奈川新聞厚生文化事業団のご支援に、心より感謝申し上げます。

また来年、お会いしましょう!

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《活動ニュース》