• よこはまチャイルドライン
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2020年

4月

15日

ご協力ありがとうございます!

横浜市中区海岸通にある素敵なカフェKaguyaさんです。

こちらで美味しいクッキーを購入していただくとよこはまチャイルドラインに10円ご寄付いただけるそうです。

ご協力、心より感謝いたします!

 

KaguyaさんのHPです

http://www.kaguya-yokohama.com/

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2020年

4月

13日

感謝状いただきました

公益財団法人よこはまユースさんより、私たちの日ごろの活動が青少年育成への貢献として認められ、感謝状をいただきました。

 

2020年

4月

08日

高橋源一郎氏 講演会

2019年8月31日 横浜市健康福祉総合センターに於いて開催した作家 高橋源一郎氏「弱さを抱きしめて~まなざしを変えて、ゆたかに生きる~」の講演会の収録音声です。

下記より 第1部、第2部それぞれのファイルをダウンロードしていただくと、直接聴くことができます。会場のノイズで聴き取りづらいところもありますがご容赦ください。

(パソコンでの聴取をおすすめします。機器によっては読み込みに時間がかかります。)

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2020年

4月

06日

認定NPO法人になりました

この度 2019年8月21日付けで、よこはまチャイルドラインは「認定NPO法人」を取得いたしました。「認定NPO法人」とは、NPO法人のうち“「より客観的な基準において高い公益性をもっている」と所轄庁(都道府県・政令市)が認めた法人”のことです。

横浜市で58番目の認定を取得した団体となりました。 横浜市民局ホームページ

認定NPOへ寄附をしてくださる皆さまには税制優遇措置が認められます。

詳細は最寄りの税務署、またはこちらをクリックしてご覧ください。

ご寄付の税制優遇措置について

 

いつも支えてくださる支援者の皆様に心よりお礼を申し上げます。これからも末長いご支援とご協力をよろしくお願い致します。

2020年

2月

19日

ドキュメンタリー映画 「がんと生きる 言葉の処方箋」 

一昨年よこはまチャイルドラインで講演をしてくださった がん哲学外来の樋野興夫先生のドキュメンタリー映画が横浜のジャック&ベティで再上映されます。

3月21日(土)~27日(金)1週間の限定上映なので、お見逃しなく!

25日は先生の舞台挨拶とサイン会もあるそうです。 

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2019年

11月

20日

熊本便り 29

 「坊がつるを訪れて」

 

いま行かなくては、きっともう無理、そう一大決心して、くじゅう連山に囲まれた湿地帯「坊がつる」に出かけた。空は高く、空気も澄み、紅葉が何とも美しい、秋の日のこと。

 坊がつるは、標高約1,200メートル。くじゅう連山の主峰、久住山大船山等に囲まれた盆地で、四季を通じて訪れる人が絶えない人気スポットで、ラムサール条約の登録湿地でもある。NHKのみんなのうたでも「坊がつる賛歌」と題して芹洋子が歌って、全国的に知られるところとなった。

 昨年、坊がつるの入り口である蓼原湿原を訪れたとき、ここから2時間半も山道を歩くと知り、即座に無理かなあ、と思ったが、ふいに記憶の底からある出来事が蘇り、彼女の生き方に少しでもふれる手がかりになるのであれば、いつかはきっと、と考えるようになっていたのである。

 長者原を出発して、笹に埋もれそうな道、まるで西部劇を思わせるような見渡す限りの岩場をひたすら登るなど苦労すること約2時間、やっと標高1,500メートルのすがもり峠に着く。ここは、坊がつる、三俣山、くじゅう山、星生山、などの分岐点で、立派な避難小屋がある。そして、そばには三角の小さな鐘が立っている。しかし、何の説明もない。

 「この鐘は昔、ここで遭難したひとがいて、そのひとを偲んでつくられたそうですよ」

 福岡からひとりで来たという、山に慣れた70歳くらいの男性が教えてくれた。

 わたしはこころのなかで、『はい、もう50年くらい前、ここで大学生3人がいのちを落としたんですよ』としんみりする。

 彼女が大学3年のとき、男女数人の学生グループでくじゅう山に登り、途中で道がわからなくなり、遭難した。泊まるつもりはなかったので、服装も持ち物も軽微で、結局、深夜の山の寒さに勝てなかったのである。

 「男の子が自分の服を脱いで、女の子に着せてくれて、発見されたとき、うちの子は意識はなかったけど、おかげで助かったのよ」

 彼女の口から遭難のことは一度も聞いたことはないけれど、お母さんが話してくれた。亡くなった学生のひとりは彼女の恋人で、将来を約束していたとのこと。

 「どうなることかと心配していたけれど、なんとかね。結婚も就職もしないけど、これでいいのかな」

 わたしより4歳年上の、賢くて、美しくて、話題も豊富な大学の先輩、のりちゃん。ひっそりと家事の手伝いをして、凛とした笑顔は美しく、だれにでもやさしいけれど、どことなくひとを寄せ付けないものを感じていた。どこまで踏み入っていいのか、はかれなくて、なんとなく遠のいているのがいまの状況。

 鐘を鳴らしてみた。秋の空に澄んだ音色がひろがってゆく。

 青空にのりちゃんの笑顔が浮かんでいる。つらかったね。笑顔になれてよかったね。

  どんな苦難や悲哀がふりかかっても、だれにでも等しく安らぎや癒しを与えてくれるもの、それは「時間」だ。半世紀を過ぎ、のりちゃんにもそれなりの安らぎが訪れたに違いない、と笑顔ののりちゃんをみてしみじみ思う。だけど、それでも、自分の生き方を貫いて、こころの奥底に若き日のことを忘れずにいるのりちゃんも素晴らしいと思う。

 「坊がつるも阿蘇もくじゅうも、もう行かない」のりちゃんの声が聞こえる。

 わたしはね、紅葉真っ盛りの美しい山々にみとれ、来てよかったなあと思うのよ。

 「うん、わたしがのりちゃんの分まで見て帰るね」

 今度、久しく会っていないのりちゃんに会いに行こう。 

徳丸 のり子 

 

2019年

7月

01日

熊本便り 28

ふるさと今も、ホタル舞う

 

 夏至も近いこのころになると、夜7時を過ぎてもまだまだ明るい。横浜と日の入りが40分くらい違うので、びっくりするほどに日が長いのである。

 つい先日、夕食をすませ、まだほんのりと明るさが残る、夜空は群青色の、夜8時前に家を出た。念のため、懐中電灯を持参したけれど(田舎の夜は街灯が少ないので真っ暗なのだ)、使うほどではない。

 我が家は小高い丘の上にある。竹林に囲まれた坂道を下りてゆくと、連れ合いが叫ぶ。

「あ、あそこ、いるいる」

「えーっ、どこよ」

「ほら、ほら」

 目を凝らしてみると、はんなりと光るホタルが1匹、2匹、3匹、・・・暮れなずむ山間に飛び交っているではないか。思いのほか、高さはあり、見上げるほどだ。

「きゃー、すてきー」

 ばかみたいにはしゃいでしまうわたし。何ということはない、ただホタルが飛んでいるだけなのだけれど、子どもみたいにうれしくなってしまう。実際、こうして自然のなかでホタルが飛び交うさまを見るのは何年ぶりだろう、おそらく半世紀くらいにはなる。目的の川岸まではまだあるのに、山の中にさえ、ホタルが飛び交うなんて、新しい発見である。

 川岸に着くと、さらなるホタルの乱舞に浮きたってくる。そして、その光はオスがメスに命を懸けて求愛しているのだと思うと、切なくて、いとおしくて、いのちの不思議を思う。寿命はわずか1年きり。BGMは、川の流れの音と、かまびすしいカエルの鳴き声だ。観客はたったふたり。いつのまにか、空の色が暗さを増している。

 ふいに、幼いころの記憶が蘇る。「ほー、ほー、ホタル来い」と歌いながら、子ども同士でホタル狩りに行っていた。箒のような穂先を持つ、つばなという草でホタルを捕り、虫かごに入れていた。1週間くらいは生きていたような気がするが、いま思えばずいぶんと残酷なことを平気でやっていた。まあ、子どもというものはそういうものだけれど。

 あれから、半世紀。再び、ふるさとの川岸に立つ。中原中也ではないけれど、「ああ、お前はいったい何をしてきたのだと、吹き来る風がわたしに言う」といったところだ。

 そうだなあ、戦ってきたなあ、抗ってきたなあ、としんみり思う。

 何と? 誰と?

 ひとはだれでも、時代という、そして風土(家)という、大きな化け物のなかで生まれ、そのなかで生きてゆくしかないのだけれど、当然のことながら、いつの時代にもどんな地域にも、良い点と良くない点がある。物理的にも精神的にもそのなかにずっといて、外に出ることがなかったら、そのなかの考え方が当たり前のこととして、疑うこともなく、生きるよすがとなり、次の世代に引き継がれ、いつのまにか道徳になり文化になってしまう。

 もちろん、それらのなかには素晴らしいものもあるけれど、そうでないものも存在する。わたしはふるさとを離れたことで、いろんなことが見えてきた。いや、やたらと敏感に感じると言ったほうが確かだろう。ふるさとを離れても、わからないひともいるから(だれとは言いませんけれどね)。

 「正しいことは、大きい、強い、高い、多い」という優性思想、「女は一歩下がって男を立てる」というジェンダーバイアス。わたしたちの時代の、そしてわたしのふるさとの大きな勘違いの論理で、わたしはこれらと戦ってきた。正確に言えば、そういう考えをもった人びととだけれど。

 しかし、再びふるさとの川岸に立って思うのは、そういう人びとだって、時代の、そして風土の「申し子」ともいえるのであって、そのひと個人だけの責任ではないのだから、もっと広い視野でものごとを見なくちゃなあ、と反省しきりなのであった。

            

  

 

徳丸 のり子 

 

2019年

6月

10日

2019年度通常総会が終了しました

 6月8日(土)13:00より 全国共済ビル地下1F 馬車道プラザみらい にて、よこはまチャイルドライン 2019年度通常総会 を開催し、すべての議案が賛成多数で可決承認されました。

多くの会員の方にご出席をいただきありがとうございました。

今年度もどうぞよろしくお願いいたします。

 

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2019年

4月

22日

研修報告

  4月13日、滝田衛先生による「引きこもり・不登校の支援」の研修を実施しました。

当日は、受け手の皆さん、他、総勢40名近くの方々にお集りいただきました。

 滝田先生のお人柄がうつったかのような、終始和やかな笑いありの研修でしたが、内容はしっかり!不登校、ひきこもりの現状や先生ご自身のご経験など、実際のお話から「支援とは何か」のヒントが得られました。

 

 「Be you」 ありのままの君でいいよ。

 

支援に携わっている人間が、ここをきちんと心の柱に持っていれば、おのずと子どもたちと向き合い、共に生きていく支援ができるのではと思いました。

 

先生、そしてご参加いただいた多くの皆さまに感謝申し上げます。

 

 

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2019年

4月

01日

熊本便り 27

 

  「地域って、ほんとに大切です」

 「先生」         

 そう呼びかけられると、なにかを思い出したように義父は「はっ」とした表情をみせる。わたしたちがいくら「おじいちゃん」と呼びかけても、なんら反応がないのに、である。

 ここは、町内にある特別養護老人ホーム。昨年めでたく100歳を迎えた義父が2年前から入居している。町内にあるので、職員も入居者もみんな顔見知りで、義父を若いころから知っている。職員はもちろん、義父が地域で獣医としてばりばり働いていたころ、まだ子どもで、りりしかった義父の姿を覚えているのである。だから、「先生」と呼びかけるのだ。

 認知症をわずらっている義父も、昔のたいせつな記憶はまだ残っているらしく、「先生」と呼ばれると、若かった自分を思い出すのだろう。「はっ」とする表情は、瞬時に正気のそれに戻るのである。

 なんといい介護なのだろう、としみじみ思う。都会では、どんなに手厚い介護と言っても、こうはいかない。そのひとの若いころの姿を知っている介護者は、ほとんどいないに違いない。わたしも、義父の介護をみることがなかったら、それが当たり前だと思っていた。しかし、そのひとの若いころを知っているひとがお世話するのは、やっぱりいい。

 そのホームが、ひとつの大きな家族のようで、いつもあたたかい雰囲気があふれている。お互いに知り合いなので、自然、介護もやさしいふるまいになる。こんなホームで最期を迎えられたら、本当に幸せだと思う。

 じつは、このホームには「先生」と呼ばれるひとがもうひとりいた。わたしの小学校のときの先生で、99歳だった。そう、ほんの数日前、亡くなられたのだ、このホームで。

 「本当に、ホームがひとつの家族のようで、あたたかく、でも、家族にはできないようなことまでやっていただいて、至れり尽くせりでした。最期の最期までおせわになりました」

 もう70歳をすぎている娘さんが、感慨深そうに話される。

 「寝たきりになっても、ずっとおせわになりました。わたしたちでは面倒見切れませんしね。地域のホームでなかったら、こうはいかなかったと思います。母も安心して、ゆたかな老後を送れました、『先生』とみなさんに最後まで呼んでいただいて。きっと、母がもっとも輝いていたときを思い出して、満足だったと思います」

 「地域って、ほんとに大切なんですね。若いころはわずらわしいと思ったこともありましたが、最期は地域です」

 理事長が地域で開業している内科医なので、ホームで看取ることも可能なのだ。しかも、その先生はていねいで、だれにもやさしく、地域で信頼されているのである。

 わたしは、ときに学習会などで「子育てにとって、地域がなくなったのはとても大きく、子どもにもあまりよくない」と話しているが、老人にとっても地域がなくなるというのは、さみしいことなのである。

 「うーん、わたしもここで面倒見てもらおうかなあ」と言ったら、

 「職員だって、みんまそう思っているんです。そうかんたんには入れませんよ」

 と、スタッフのかたにしっかりくぎを刺された。

 

 

 

徳丸 のり子 

 

2019年

1月

23日

熊本便り 26

 

  「いだてん」をよろしく

 

 今回の年末年始はいつも以上にあわただしくて、わたしの好きな「ぼーっとする時間」はほとんどなかった。家族が全員集まると、3度の食事もたいへんである。おまけに「お正月」だし、そのうえきゃつらは「きっとすこぶるおいしいものを食べさせてくれるはず」と意気込んでやってくる。そして、わたしはその期待にきっちり応えようとするのだから、忙しいはずである。

 だから、麻雀も半チャンしかできなくて、それもハコ点に近い結果となり、雀士の名折れとなった。「お母さんは弱くなった」ともっぱらだったらしいが、違うもんね。ただ疲れていただけだもんね。

 そして、13日午後610分。熊本県を震源とする地震が起こった。最大震度6を示したのは、隣町のあの「和水町(なごみまち)」。もちろん、ここ山鹿市も震度4強で、かなり「ずしん」ときたらしいが、わたしは家族全員が帰った後、ゆっくりと近所の温泉につかっていたので、「あれ、もしかして」くらいにしか感じなかった。たいしたことない、と思ってテレビをつけると、日本全国大変なことになっていた。「震度6」の地震が起こると、おそらくマニュアルがあって、そのとおりに動くのだろう。官房長官も知事も会見していたけれど、ふーんという感じだった。

 ニュースは何度も何度も「和水町」を連呼している。もちろん、NHKも。

 何を言いたいかって。この年末年始、NHKは大河ドラマ「いだてん」の番組宣伝に必死だった。時間が空くと、「いだてん」「いだてん」・・・そこまでやるかというくらいに。

 じつは、「和水町」はいだてんの主役である「金栗四三」の生まれ故郷だ。NHKは地震のニュースのときに、きっと「和水町はいだてんの主役の故郷です」と付け加えたかっただろうし、おそらくこれは景気づけの地震なのか、と思ったのではないだろうか。もちろん、被害がほとんどなかったし、震度6は和水町という狭い地域だけだったから言えるのだけれど、それくらい地元でも「いだてん」は盛り上がっていないのである。

 昨年の大河ドラマ「西郷どん」ですら、歴代ワースト3に入るくらいの視聴率だった。あの誰もが知っている人気者、明治維新のヒーローが主役で、林真理子の脚本の出来もすばらしく、名だたる俳優陣が出演していたにもかかわらず、である。

 翻って、いだてんの主役は決して有名ではなく、そんなにおもしろそうな話でもない。したがって、NHKは必死で番宣しているのではないのか、と思ってしまう。

  しかあし、である。綾瀬はるかが自転車に乗って走る場面、勘九郎が川で泳ぐ場面、ごらんになっただろうか。番宣にも、よく使われていた。あれは、なんとうちの近所で撮影されたものなのでーす。はい、うちはものすごく田舎で、近代的な建物もなく、川も昔のままそのものが残っているところがあるので、きっと選ばれたのでしょう。ただ、撮影時、道路にはトラックで砂利を入れ、カーブミラーなどは映像技術でカットされていました。

 わたしの家は、そんな田舎にあります。「いだてん2回」を見ると、よくわかります。ドラマ撮影はうちの近所だけでなく、熊本県のあちこちで行われました。

 そんな熊本ゆかりの大河ドラマが史上最低の視聴率にならないよう、どうぞ「いだてん」をよろしくお願いします。

 

徳丸 のり子 

 

2018年

11月

29日

熊本便り 25

 

「おまえもか、ブルータス」

 

友田明美さん。小児神経科医。最近、テレビ、新聞、雑誌などに引っ張りだこで、ご存じのかたも多いと思う。なぜ引っ張りだこなのか。

暴力や暴言など親の不適切なかかわり(マルトリートメント)は子どもの脳を傷つける、ということを世界で初めて実証したのが友田さんだ。厳しい体罰を受けた人は、学びや記憶にかかわる「前頭前野」が委縮し、暴言を受けた人はコミュニケーションのカギを握る「聴覚野」が変形し、家庭内暴力(DV)を目撃した人や性的虐待を受けた人は「視覚野」が縮小するという。つまり、見たくない聞きたくないという情景の詳細を見ない聞かないですむように脳の中で適応が行われているというのだ。

虐待が子どもに与える影響は決して小さくない、ということはなんとなく理解はしていたものの、ここまでしっかりと研究実証されると、その影響の大きさにがく然とする。

では、傷ついた脳はどうすればいいのか。友田さんは、「癒せない傷はない」「親が変われば、子どもが変わる」が信念だ。なので、小児神経科医ながら、親への支援も手厚い。勤務する「福井大学子どものこころ発達研究センター」には全国から悩める親子が訪れる。

と、前振りが少々長くなったが、先日事務局のBさんからメールをいただいた。

「先日NHKのプロフェッショナルに、医師の「友田明美さん」という方が取り上げられていました。虐待で傷ついた子どもの脳を科学的に研究している方です。語り口が徳丸さんそっくりだな・・・と思っていたら、ご出身が熊本、まさに熊本大医学部ご出身でした。1987年ご卒業だそうです。やっぱり徳丸さんの喋りは熊本弁だったんだとびっくりしたので取り急ぎです(笑)」。

あっはっはっは。そーだよん。ていうか、わたしもプロフェッショナルを見ながら、「友田さんって、熊本弁丸出しじゃん」とひそかに思っていて、こともあろうに「まさか自分も」なんて思いもしなかった。いやあ、おめでたい、おめでたい。まあ、わたしもちょっとぐらいはみなさんとアクセントが違うだろうなあ、くらいは自覚していたが、友田さんほどだったとは、驚きだ。だって、友田さんは大学卒業後、鹿児島や熊本で仕事をしていらっしゃって、わたしは大学卒業と同時に熊本を離れているので、ちょっとぐらいは訛りが抜けているのでは、と期待していたのである。

でもね。やっぱりね。生まれは隠せない。一説によると、9歳のとき、住んだ地域の言葉は一生ついて回るのだという。それに、同じ九州でも、なぜだか熊本弁のアクセントはちょっと他県と違うような気がする。福岡や大分や長崎、佐賀といったところは、あまりアクセントがきつくなく、さらりと標準語になじんでいる人が多いのではないかなあ。

でも、まあ、仕方ない。熊本出身の女医さんが世界的な研究を成し遂げたことは同じ熊本県人として誇らしく思う。頭とやってきたことの中身は全然違うけれど、同じ熊本弁を話すなんて、ふふふふ。

おまえもか、ブルータス。

徳丸 のり子 

 

 

 

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2018年

11月

12日

みんな de あそぼ 終了しました

 11月3日(祝)馬車道まつりアートフェスタ2018 の最終日、「みんな de あそぼ」のワークショップを全国共済ビルの地下の 馬車道プラザみらいにて開催しました。

昨年に引き続き2度目となった今回のワークショップですが、約100名近くの方々にお越しいただき、折り本作りに参加してくださいました。

「あ、チャイルドラインって知ってる!」という子どもたち。

「チャイルドライン・・・?初めて聞きました」と仰る保護者の方。

6色クレヨンセットのプレゼントに加え、おとなの皆さまには情報誌やパンフレットを差し上げました。

普段はなかなかお会いできない方々へ、私たちの活動を直接お伝えできるとても良い機会になったと思います。

後半のスター☆ジャンのショータイムでは、防犯教室とチャイルドラインに関するロールプレイを皆さんと一緒に楽しみました。

スター☆ジャンとの写真撮影では行列ができるほどの盛況ぶりで、多くの方々に喜んでいただけたようです。

ご参加してくださった皆さま、イベントにご協力してくださった関係各所の皆さまに改めて感謝申し上げます。

 

 

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2018年

10月

24日

熊本便り 24

 

「あるいい女の話」

前回のコラムで、熊本のおなごについて、あんまりいい印象を書かなかったので、今回は熊本のおなごの名誉にかけて、すばらしい一面を書きます。

さて、わたしの知人夫婦は大学卒業後、就職と同時に故郷を離れ、55年もの長い間、関西に住んでいた。子どもにも恵まれ、人生を謳歌していたが、26年前、おくさんに乳がんがみつかり、摘出手術を受け、完治した(と思っていた)。その後は子どもたちも独立して、夫婦ふたり仲睦まじく暮らしていた。

ところが、2年前の春のこと、おくさんが風邪をひき、それがなかなか治らないので、病院に行ったところ、24年前の乳がんが再発していることがわかった。しかも、その時点ですでに肺やリンパにも転移していて、外科手術で治る見込みはゼロ。抗がん剤に頼るしかなく、その治療を受けていたが、今年の8月末、あの暑いさなかに熊本に引っ越してきた。昨年の春、わたしは関西までお見舞いに行ったが、おくさんが元気になって会いたいから、との理由で会えずじまいだったし、帰る早々、入院し、いまは緩和ケア病棟に入っている。

そんなこともあって、突然の帰熊は、ご主人がきっとおくさんに人生の最期のときをなつかしいふるさとの熊本で過ごさせよう、ということなのだろうと思っていた(みんなそう思っている)。

しかし、である。事実はまったく違って、逆だった。以下は、わたしとおくさんの会話。

「帰ってきて、よかったね。安心したよ」

「うん、そうやね。お父さんがもうすごい疲れててね。買い物からしないといけないし」

「慣れない仕事だもんね」

「そうなんよ。それに、お父さんは向こうではひとりも友だちもいないし。一日中テレビばっかり見てるんよ。わたしがいなくなって、お父さんひとり、あんなとこ置いておけんでしょう。だから、わたしが帰りたい言うてお願いして、無理して帰ってきたんよ」

「えーっ」

8月は暑かったけど、動けるうちに帰らんと、もう帰れないと先生に言われてね」

「そうだったんだ。ご主人は知ってるの、そのこと」

「どうかなあ、知らないと思うよ。でも、それでいいのよ。恩着せたくないし、わたしはもうそんなに長くないからね」

話は聞いてみないと本当にわからない。ご主人をひとりで関西に残さないために、新幹線の車両に1台しかない寝台に寝て帰ってきたのだ。おくさんがどうしても帰りたかったわけではない。むしろ、関西に残りたかったかもしれないのだ。友だちもたくさんいる関西に。しかし、家も処分するという。

もしかしたら、酷暑のなかので移動はいのちを縮めたかもしれないし、ご主人はおくさんの最後の願いを聞いてあげたなんて思っているかもしれない。でも、おくさんの心残りは、そしてご主人への最後の愛情は、しっかり遂げられたのだ。それこそ、ひっそりと。

うーん、すごいなあ。おくさんは黙って逝くつもりらしいが、しかしわたしは、必ずご主人に話す。死出の病にあっても、ご主人のことを思ったおくさんのすばらしさを。

あ、でもこれって、熊本のおなごだから、ということはないか。いい女だなあ、ホントに。

 

徳丸 のり子 

 

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2018年

9月

24日

熊本便り 23

 

熊本ラーメン紀行

 いま、ラーメンが嫌いというひとがいるだろうか。おおかたの日本人はラーメンが好きと思われるが、ラーメンにもいろいろある。塩ラーメン、しょうゆラーメン、味噌ラーメン、そして、とんこつラーメンである。

もちろん、熊本ラーメンはとんこつである。いまでこそ全国区になったとんこつラーメンはどこに行っても食べられるが、まだわたしが若いころ、つまり上京したてのころはとんこつラーメンなど首都圏にはほとんどなかった。ラーメン食べたいなあ、と思ってもしょうゆラーメンしかなく、泣く泣くがまんしていた。そのうち、熊本の名店、桂花ラーメンが新宿に出店し、わざわざ新宿まで足を運んだものだった。

時は移り、新横浜に「ラーメン博物館」がオープンしてからは、ラーメンを取り巻く環境ががらりと変わった。もちろん、ラー博にも熊本ラーメンはある。その名も「こむらさき」。わたしが学生時代、よく通った店だ。うれしくなって、オーナーの岩岡さん(五大路子さんの弟)に話を聞いたところ、「全国2万店のラーメン店を回り、出店する店を決めました。熊本ラーメンはレベルが高く、なかでもこむらさきがよかった。しかし、店主が出店に同意せず、何度も足を運び、やっとお願いしたんです」とのこと。やっぱりな。桂花より麺が細く、スープはあっさり味。熊本の本店は、いまでも500円という安さだ。

ところで、とんこつラーメンといえば、博多も有名だが、熊本とちょっと違う。熊本ラーメンに比べ、あっさり風味のスープで出される店が多い。麺は極細のストレートのため伸びやすいので、麺の量が少なく、替え玉することが前提になっている。

熊本ラーメンは、麺は博多ラーメンほど細くなく、スープはとんこつだが、だしとして使うのは豚の頭だけ。鶏ガラをブレンドするのがベーシックで、マイルドで香りも良い。そして、味にアクセントを加えるのが「マー油」だ。これは、にんにくを揚げた油のことで、スープに混ぜるので、スープの表面に黒い色をしたマー油が浮かんでいて、にんにくの香りも半端ない。これが強烈な個性を発揮し、食欲を倍増させる。また、ラーメンにトッピングされているきくらげもこりこりして美味だ。

 熊本の有名店としては、先の2店はもちろん、「黒亭」「天外天」「大黒」「味千」などがあるが、わたしのなかの名店は違う。地元、山鹿市の「八千代ラーメン」。帰省すると、まだ実家にたどり着く前に、このラーメン店に直行していた。味は、こむらさきに似ているけれど、似て非なるもの。もっと、こってりしているけれど、でも、すっきりした味で、スープと麺の調和がとれていて、とてつもなくおいしい。が、が、が、悲しいことに、この店はつぶれてしまった(2代目が夜逃げした)。もうあのラーメンを食べられないと思うと、ものすごく悲しい。

 先日、有名な食のコンサルタントと話していて、世界中のおいしい店の話のあと、ラーメンの話になり、わたしが「なんといっても八千代ラーメン」と言うと、もう何年も前につぶれた店のことをそのひとも「わたしもです」というではないか。そして、ふたりしてあのすばらしい味を堪能できないことを嘆きあったのだった。

徳丸 のり子 

 

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2018年

9月

12日

学校地域コーディネーター・フォーラムへ参加しました

9月8日、今回で第6回を迎えた学校地域コーディネーター・フォーラムが磯子区の横浜市社会教育コーナーで開催されました。

よこはまチャイルドラインは、3回目から参加させていただいています。

午前の全体交流会では、子どもたちのために何ができるかという視点で、各団体と活発な意見交換を行いました。午後からは出展ブース会場をメインに、来場者の方々とも情報交流を実施。私たちよこはまチャイルドラインは、現在小中学校で行っている「出前授業」について詳しくご紹介させていただく機会を得ることができました。

こういった交流を重ね、学校、地域、企業の方々と連携させていただくことで、私たちだけではできないようなことも何か実現できるのではないかという、今後の活動に新たな力をいただいた一日でした。

 

2018年

8月

23日

熊本便り 22

 

熊本の「よかおなご」について

 

「Aさんのだんなさんは、食卓に箸が並べてないだけで、おごらすてったい(怒るらしい)」

「えーっ」

「だけん、Aさんはいつもいつもだんなに気をつかっとらす」

「いやー、Aさんはすごかね、やっぱり。わたしには真似できん」

「わたしにも」「わたしも」・・・

これは、ある会合でのわたし以外の参加者の会話である。これに対して、わたしはこころのなかでひとり、そっとつぶやく。

「いやいや、ちがうだろー。ここはAさんに感心している場合じゃなくて、勘違いのだんなを攻撃するところだろーが。殿様じゃあ、あるまいし、とね」

うーん。熊本のおなごはすごい。ついてゆけないわたしがいる。朝昼晩のご飯の支度(農業のひとは3度家でご飯を食べる、ついでにおやつも)後片付けから、家の掃除(わたしの夫が掃除機をかけているのを見て、目ぱちくりされた)、洗濯、買い物、子どもの世話、もちろん夫とともに農作業もちゃんとやる、そして舅姑の世話、まあ、これをそつなくこなすのが当たり前だ。その間、夫は嫁を手伝うでもなく、ぼーっとしているらしい。

いわゆる「九州男児」がいまだに生きていて、「亭主関白」でいばっていることが男らしいことだと、男も女も信じて疑わない。どんなに嫁が忙しくしていようと、手伝うなんてもってのほか、男がすたる、と思っているのだ。そして、嫁がミスでもしようものなら、大声でどなり散らす輩もいる。嗚呼。

一方、嫁いわゆる熊本のおなごは、こうして男を支えることが女らしいと盲目に信じこんでいる。そして、いつも一歩下がって、決して男の前には出ず、文句ひとつ言わない。まあ、みんながみんなそうとは言わないけれど、そして表面では男を支えているようにみえて、陰で舌を出しているひともいないではないけれど、嫁としての仕事を完璧にこなすことが、できる女だと思っているのだ。まあ、できるといえば、できるけれどもね(ちょっとひがみ?)。はっきり言って、できる「よかおなご」が「できないダメ男」をつくっているのがわからないのかねえ。嗚呼。

そして、「よかおなご」はつぶやく。「うちのだんなはわたしがいないと、なあんにもできん。私が死んだら、どうするんだろ」。しかたがないだろう、あんたがそうしてるんだからねえ。また、「よかおなご」はわたしのように「できない女」に対してちょっと嫌味を言い放つ。

「草取りもお姫さまのようだし、スカートなんか穿いてるし、それで仕事ができるわけなかろー」

はいはい、どうもすみませんね。

周回遅れ、という言葉があるけれど、周回遅れどころか、100年単位の遅れじゃあないだろうか。男女同権、という言葉はここでは死後に近い。平成も来年で終わるというのになあ。うーん、どうしたらよかんべ。

 

徳丸 のり子 

 

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2018年

8月

23日

熊本便り 21

 

「ベイスターズ観戦記」

 

 これは「熊本便り」なのだけれど、それをも上回る体験を横浜でしたので、今回はそのことについて。

 ああ、びっくりである。しかし、すんごくうれしかったし、勉強になった。やり方ひとつで、こうもひとは変われるのだと。

 ひとむかし前のベイスターズも強くはなかったけれど、それよりなにより、お客さんが入らなくて、赤字続きで、売りに出される始末。大洋からTBS、そしてDeNAへと。

思い起こせば、十数年前、ベイスターズが優勝したときだけがすごく盛り上がり、そごうの前には「大魔神神社」もでき、多くの人がお参りに訪れた。しかし、ファンも根っからのファンではなく、にわか仕立てにすぎなかったので、あっというまに球場には閑古鳥が鳴くことになった。

そんな歴史を知るわたしとしては、ベイスターズをとりまく環境の変わりっぷりに「あっぱれ」を送りたい。とにかく、すごい。ひと、ひと、ひと、ひとの波。それも、多くがベイスターズのユニフォームを着ているではないか。もちろん、うちの娘一家も5人全員そろいのユニフォーム姿。バックネット裏のボックス席だったが、まわりももちろん全員ユニフォームを着ている。いろんなユニフォームがあることも知った。

「この席は取れないんだからね。苦労したんだ」そうだが、5900円の5人分で約3万円もするのに、「えーっ」である。この日の相手は中日で、以前なら客席はがらがらなのに、ほぼ満員。この日が誕生日の石井選手が打席に立つと、みんなで「ハッピーバースデー」の大合唱。看板選手の筒香が登場すると、盛り上がりは最高潮。いやあ、選手もやりがいがあるし、うれしいでしょうね。

そして、いつのまにか応援ソングが「DeNAベイスターズ」に変わっていて、みんな大声で歌っている。DeNA、やりますなあ。聞けば、市内の全小中学生にヘルメットをプレゼントしたという。うちのおチビちゃんたちも、帽子からユニフォーム、バット、メガホンまで揃えていて、まるごとベイスターズ。刷り込み効果できっと、おとなになっても生粋のファンでいるに違いない。DeNA、貧乏球団をみごとに建て直し、経済効果もさることながら、しっかりと横浜市民のこころをとらえているではないか。おみごと。あっぱれ。

こうして地元に根付き、市民のこころをひとつにするというのは、だれにとっても心地よいものなのだろう。広島にカープが、名古屋にドラゴンズが、福岡にソフトバンクがあるように、横浜にベイスターズ。考えてみれば、子どもも孫もふるさとは横浜。ベイスターズを通して、郷土愛にめざめてくれたら、しめたもの。ありがとう、DeNA。

時刻はやがて7時。茜色に染まりながら暮れなずむ空、美しいグランド、ベイスターズカラーに染まった客席・・うーん、いいなあ。なんだか、とっても幸せ。やっぱり、球場はこうでなくちゃ。ドームじゃないほうがいい。風に吹かれながら、いろんなことを思う。なぜだか、遠い日の若きころのよしなしごとが浮かんでくる。村上春樹が神宮球場の外野席で流れゆく雲を見ながら「小説を書こう」と思ったのも、さもありなんと思う。

 

 

徳丸 のり子  

 

 

 

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2018年

7月

09日

養成講座2018が始まりました

7月7日(土)より、子ども支援者養成講座2018がスタートしました。

52名の受講生を迎え、会場は満席となりました。

午前9時半から昼食を挟み、午後4時半まで。皆さん真剣に学ばれていました。

最初は緊張感に包まれていましたが、後半はワークを通し和やかな雰囲気に。

次回は7月21日(土)になります。

蒸し暑い日が続いていますが、まずは体調を整えて次回もがんばりましょう。

 

2018年

6月

20日

熊本便り 20

 

「短いあいだに・・・」

 

 約半月ぶりに熊本に帰ってみると、びっくりしたことがいろいろある。それを少し。

 まず、家じゅうのあちこちに蜘蛛の巣が張っていたこと。玄関、納屋はいうに及ばず、密閉度が高い建築のはずの家のなかにも蜘蛛の巣があった。ということは、蜘蛛が家のなかに隠れていたのだろうか。これぞ、「くもがくれ」。あ、ちょっと違うか。しかし、この辺りでは、蜘蛛は縁起のいい動物と考えられており、ねばねばの蜘蛛の巣もなんだかいとおしいから不思議である。

次に、庭が、ああ、庭が、草だらけになっていたこと。少なくとも2週間前までは草はあまりめだたないほどに手入れを怠っていなかったのに、あっという間に草は伸び放題になっているではないか。「この季節は雨が多く、気温も高いので、1年のうちでいちばん草が伸びるから」と、となりの奥さまはおっしゃるが、それにしても、ひとがいない家というのは、短期間にかくも荒れるものだろうか。全国で増え続けている「空き家」は、本当に大問題だろう。とくに、近所迷惑は計り知れない。

そして、農協の直売所に野菜を買いに行ったら、みごとに品物が様変わりしていた。2週間前は幅を利かせていたレタス類はほとんどなくなって、値段も高くなっており、代わって、きゅうり、トマト、なす、とうもろこしの大群が列をなしていた。トマトはなんと中くらいのが5個入りで100円という、びっくりぽんの安さ。

わたしは、ヤングコーンが大好物で、半分に切り、フライパンにオリーブ油をさして、白ワインで蒸し焼きにして食べる。とくに、ひげは格別においしいのである。2週間前はまだヤングコーンが走りで、小さかったので、帰って食べるのを楽しみにしていたのだが、もうかげもかたちもなかった。

 つまり、露地ものの旬とは、かくも短いのである。横浜のスーパーに行くと、だいたい同じような品物が同じような値段で売られており、野菜の旬の短さを感じることはあまりなかった。農家や流通業者の手間ひまを惜しまない努力のおかげとでもいえるのだろうか。

 

 この間、横浜では、1年に1度のチャイルドラインの総会が行われた。例年にもまして、真剣な空気が漂い、ひきしまった総会となった。遠く名古屋から駆けつけてくださった企業の社長さんもいらっしゃって、チャイルドラインが多くのひとに支えられていることをいまさらのように思う。

 そして、記念講演会「あなたはそこにいるだけで価値ある存在」。順天堂大学医学部教授でがん哲学外来の創始者でもある樋野興夫先生を迎えてのイベントも、こころにしみるものであった。先生のあたたかくてユーモアあふれる人柄、ゆるぎない信念、深い知識・・それらが一体となって、濃密であたたかい時間となった。さまざまな光る言葉があって、そのなかのひとつ、「人生は最後の5年が価値を決める」。

 えっ、「先生、死ぬ時がわからないのに、最後の5年はどうしたらいいのですか」との凡人の問いに、先生は珠玉の答えをくださった。「そう、余命がわからないのは人間だけなんですね。ほかの生き物はたいがい、自分の寿命はわかるんですが。はい、それは、きょうから5年です」。

 先生のすばらしいお話はいずれ、情報誌やホームページでもお伝えしますので、お楽しみに。

 

徳丸 のり子

 

 

 

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