山梨へ越してきてからずっと行きたかった山登り。
やっとご縁があって定期的に「親子登山」をしているグループに参加させてもらった。
年齢は年長さん〜OKなので運動不足の私でも大丈夫だろうとタカを括っていたけれど、子どもたちのエネルギーってすごいすごい!まったく敵わない。
山の中を歩いているとどうしても中学一年の頃に丹沢で遭難したことを思い出す。
多分家族で山登りに行ったのは後にも先にもあの一度きりだと思うけど、何しろ捜索願が出たほどの一大事になったし、家族の絆?みたいなものが偽物ぽくではあったけど(笑)生まれた記念すべき出来事だった。
記憶を辿ってみると母はあの時46歳で、今の私も同い年である。
丹沢に登ることが決まってから母は自宅の周辺の急坂道を夜な夜な散歩するようになり私も時々お付き合いした。「少しは歩く練習をしておかなくちゃ丹沢なんて登れないわ」と。
なんであんなに一生懸命だったんだろうか。あの家族行事に何か願いが込められていたのだろうか。
結局日帰りのはずが道に迷い、私たち家族4人は10月の寒空の中凍えるような野宿をすることになった。真っ暗な中、後ろでイノシシの気配がしたし、月明かりなんて全く役に立たないことも知った。用意周到な母のお陰で新聞紙を体に巻きつけて眠れない夜を過ごした。
翌朝、運良くリュックに入っていたシーチキンの缶詰めを4等分して、恐る恐る「助かるよね?」と母に聞くと、あんなに優しかった母が血相を変えて「そんなこと!わからないわよ!!」と言う様に事態の深刻さを理解した。
父は、下山するのではなく頂上を目指そう、上へ行けば必ず尾根がある。と家族を導いたが想像以上の急斜面に母はついて来られるだろうか、なんとか連れて行かねばならない、と体を後ろから押しながら励ましながら果てしない道を延々と登ったのだ。
とにかく、山道を歩いているとそんな記憶が鮮明に思い出されてくる。山の中は私にとって特別な場所なのかもしれない。だからこんなに山に登りたい、と思うのかも。
さて、今回登ったのは山梨百名山の黒富士と曲岳。すごい頑張った、自分。
降りてきて息子が言った一言。
お母さんが死ななくて良かった!
なるほど、いつの時代も母一筋ですなぁ、子どもって。
by 心はすっぴん
