一昨年父が亡くなり、母の一人暮らしが始まった。
仲の良くなかった父が居なくなり、悠々自適、のんびりと一人で余生を過ごせるだろうと思っていた矢先、コロナウィルスで世界が変わった、そして母も変わってしまった。
ニューノーマルやwithコロナで順応していく人たちとは裏腹に、日に日に壊れていく母。
壊れたあとに出る行動や感情に方程式はない。
私の50年足らずの人生経験や想定、想像、知識ごときでは太刀打ちできないことを知った。
ときに、過去の恨みや憎しみがマグマのように噴き出てくるのは、壊れてしまった母だけではなく私にも起こる。そんな状態で、途方に暮れている母に手を差し伸べられるなど、到底無理なのだ。
正直今、困っています。
年末、「徘徊 ママリン87歳の夏」を観た。
母を介護する娘さん曰く「少なくとも10年、この人がいなかったら私はご飯も食べられず生きていくことができなかった。だから10年は我慢しようと思った。」
10年か…。な、長い。
そして「ぼけますからよろしくお願いします」も秀逸。
呉に住む老いた両親を撮る娘は東大出の映像プロデューサー。父は娘が誇り。だから娘は東京で頑張ってもらいたいと、娘を頼ることなく老々介護の日を送る。
死にたいと叫ぶ母親にカメラを向けるその残酷な勇気に感銘した。
再び手に取って読もうと思っているのは平川克美氏の「俺に似たひと」
壮絶なのに淡々と介護の暮らしが描かれている。
どの作品も、自分の状況にあてはまるわけでもないので参考にするつもりはないし、
もっと言えば、励みになるどころか自己嫌悪に陥る場面すらある。
太古の昔から人は老いていくということだけは変わらず、そして抗えない。
そこにどう自分が関わっていくのか、一段と関わらざるを得なくなったこの機会が糧となるよう、「困っている自分」を楽しんでみたいというにはちょっと無理があるけど、むしゃむしゃと困ったものを食べていってしまう感じで、今日、明日と過ごしていこうと思う。
by マイペンライ