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熊本便り 29

 「坊がつるを訪れて」

 

いま行かなくては、きっともう無理、そう一大決心して、くじゅう連山に囲まれた湿地帯「坊がつる」に出かけた。空は高く、空気も澄み、紅葉が何とも美しい、秋の日のこと。

 坊がつるは、標高約1,200メートル。くじゅう連山の主峰、久住山大船山等に囲まれた盆地で、四季を通じて訪れる人が絶えない人気スポットで、ラムサール条約の登録湿地でもある。NHKのみんなのうたでも「坊がつる賛歌」と題して芹洋子が歌って、全国的に知られるところとなった。

 昨年、坊がつるの入り口である蓼原湿原を訪れたとき、ここから2時間半も山道を歩くと知り、即座に無理かなあ、と思ったが、ふいに記憶の底からある出来事が蘇り、彼女の生き方に少しでもふれる手がかりになるのであれば、いつかはきっと、と考えるようになっていたのである。

 長者原を出発して、笹に埋もれそうな道、まるで西部劇を思わせるような見渡す限りの岩場をひたすら登るなど苦労すること約2時間、やっと標高1,500メートルのすがもり峠に着く。ここは、坊がつる、三俣山、くじゅう山、星生山、などの分岐点で、立派な避難小屋がある。そして、そばには三角の小さな鐘が立っている。しかし、何の説明もない。

 「この鐘は昔、ここで遭難したひとがいて、そのひとを偲んでつくられたそうですよ」

 福岡からひとりで来たという、山に慣れた70歳くらいの男性が教えてくれた。

 わたしはこころのなかで、『はい、もう50年くらい前、ここで大学生3人がいのちを落としたんですよ』としんみりする。

 彼女が大学3年のとき、男女数人の学生グループでくじゅう山に登り、途中で道がわからなくなり、遭難した。泊まるつもりはなかったので、服装も持ち物も軽微で、結局、深夜の山の寒さに勝てなかったのである。

 「男の子が自分の服を脱いで、女の子に着せてくれて、発見されたとき、うちの子は意識はなかったけど、おかげで助かったのよ」

 彼女の口から遭難のことは一度も聞いたことはないけれど、お母さんが話してくれた。亡くなった学生のひとりは彼女の恋人で、将来を約束していたとのこと。

 「どうなることかと心配していたけれど、なんとかね。結婚も就職もしないけど、これでいいのかな」

 わたしより4歳年上の、賢くて、美しくて、話題も豊富な大学の先輩、のりちゃん。ひっそりと家事の手伝いをして、凛とした笑顔は美しく、だれにでもやさしいけれど、どことなくひとを寄せ付けないものを感じていた。どこまで踏み入っていいのか、はかれなくて、なんとなく遠のいているのがいまの状況。

 鐘を鳴らしてみた。秋の空に澄んだ音色がひろがってゆく。

 青空にのりちゃんの笑顔が浮かんでいる。つらかったね。笑顔になれてよかったね。

  どんな苦難や悲哀がふりかかっても、だれにでも等しく安らぎや癒しを与えてくれるもの、それは「時間」だ。半世紀を過ぎ、のりちゃんにもそれなりの安らぎが訪れたに違いない、と笑顔ののりちゃんをみてしみじみ思う。だけど、それでも、自分の生き方を貫いて、こころの奥底に若き日のことを忘れずにいるのりちゃんも素晴らしいと思う。

 「坊がつるも阿蘇もくじゅうも、もう行かない」のりちゃんの声が聞こえる。

 わたしはね、紅葉真っ盛りの美しい山々にみとれ、来てよかったなあと思うのよ。

 「うん、わたしがのりちゃんの分まで見て帰るね」

 今度、久しく会っていないのりちゃんに会いに行こう。 

徳丸 のり子 

 

《活動ニュース》