「地域って、ほんとに大切です」
「先生」
そう呼びかけられると、なにかを思い出したように義父は「はっ」とした表情をみせる。わたしたちがいくら「おじいちゃん」と呼びかけても、なんら反応がないのに、である。
ここは、町内にある特別養護老人ホーム。昨年めでたく100歳を迎えた義父が2年前から入居している。町内にあるので、職員も入居者もみんな顔見知りで、義父を若いころから知っている。職員はもちろん、義父が地域で獣医としてばりばり働いていたころ、まだ子どもで、りりしかった義父の姿を覚えているのである。だから、「先生」と呼びかけるのだ。
認知症をわずらっている義父も、昔のたいせつな記憶はまだ残っているらしく、「先生」と呼ばれると、若かった自分を思い出すのだろう。「はっ」とする表情は、瞬時に正気のそれに戻るのである。
なんといい介護なのだろう、としみじみ思う。都会では、どんなに手厚い介護と言っても、こうはいかない。そのひとの若いころの姿を知っている介護者は、ほとんどいないに違いない。わたしも、義父の介護をみることがなかったら、それが当たり前だと思っていた。しかし、そのひとの若いころを知っているひとがお世話するのは、やっぱりいい。
そのホームが、ひとつの大きな家族のようで、いつもあたたかい雰囲気があふれている。お互いに知り合いなので、自然、介護もやさしいふるまいになる。こんなホームで最期を迎えられたら、本当に幸せだと思う。
じつは、このホームには「先生」と呼ばれるひとがもうひとりいた。わたしの小学校のときの先生で、99歳だった。そう、ほんの数日前、亡くなられたのだ、このホームで。
「本当に、ホームがひとつの家族のようで、あたたかく、でも、家族にはできないようなことまでやっていただいて、至れり尽くせりでした。最期の最期までおせわになりました」
もう70歳をすぎている娘さんが、感慨深そうに話される。
「寝たきりになっても、ずっとおせわになりました。わたしたちでは面倒見切れませんしね。地域のホームでなかったら、こうはいかなかったと思います。母も安心して、ゆたかな老後を送れました、『先生』とみなさんに最後まで呼んでいただいて。きっと、母がもっとも輝いていたときを思い出して、満足だったと思います」
「地域って、ほんとに大切なんですね。若いころはわずらわしいと思ったこともありましたが、最期は地域です」
理事長が地域で開業している内科医なので、ホームで看取ることも可能なのだ。しかも、その先生はていねいで、だれにもやさしく、地域で信頼されているのである。
わたしは、ときに学習会などで「子育てにとって、地域がなくなったのはとても大きく、子どもにもあまりよくない」と話しているが、老人にとっても地域がなくなるというのは、さみしいことなのである。
「うーん、わたしもここで面倒見てもらおうかなあ」と言ったら、
「職員だって、みんまそう思っているんです。そうかんたんには入れませんよ」
と、スタッフのかたにしっかりくぎを刺された。
徳丸 のり子