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熊本便り 18

「さくらの季節に思うこと」

 

 今年は、ことのほかさくらの季節が早く訪れた。

 わたしは先月は、横浜のいつものところでお花見をした。

 美しい日だった。

 1歳の女の子が草むらにちょこんと座り、両手を合わせて微笑んでいる。8分咲きのさくらと春の陽光が女の子を照らし、ときおり散ってくる花びらが女の子のまわりを飾り、ほんとうに美しかった。ああ、こんなに美しいのを見せてもらったら、死ぬかもしれない、とふと思った。

 そして、熊本は今月初めが花の盛りだった。横浜に遅れること4~5日。だから、わたしはもう一度お花見ができたのだけれど、ここ山鹿市のひとは取り立てて、お花見などしないのである。お花見ができそうなところはたくさんあるのに、その下で宴会もできるのに、そんなことはだれもしないのだ。お弁当を食べているひとすら、いない。

 こちらでは、お花見とは、なにも持たずに、ただ花を見に行くことなのである。そういえば、昨年も満開のさくらの下で、おいしいお寿司とビールと焼き鳥をほおばっていたのはわたしたちだけだった。

 きっと、ふだんのくらしのなかにさくらはあり、特別にお花見などしなくても十分なのだろう。忙しいこともあるだろう。わたしはちょっとさみしいのだけれど。

 

 ところで、ここ山鹿市が不登校が少ない3つ目の理由を書かなければ、と思う。

 それは、山鹿市のおとなが子どもを大切にしているのかそうでないのかはわからないけれど、子どもたちの情報がすみずみまで行き届いていることにある。

 たとえば、市の広報の表紙の写真は子どもたちの折々の表情をとらえたものだし、表紙の「やまが」という文字は子どもたちが書いた習字だし、数ページを使って順番で保育園から中学校まで学校の様子が報告されるし、特集でさまざまな様子が掲載されることもある(不登校の少なさもこの特集で知った)。そして、回覧板では近所の小中学校の広報がまわってくるので、わたしのように子どももいなくて、ある意味部外者でも子どもたちの様子がしっかりと伝わってくるのである。

 結果、なんとなく子どもたちに親近感をおぼえ、近所の子どもたちの顔も名前もわかり、ともに生きているという感覚になる。そして、おとなはみんな手間を惜しまず、廃品回収など学校の行事に全面的に協力する。

 先日、市の教育長と市長に会った。不登校の少なさを話題に挙げると、

 「みなさんのおかげです。ありがたい」(市長)

 「なーん、(学校に)行かんとおごらるるけんたい(叱られるからだ)」(教育長)

 なんと、こう言いながら、教育長は不登校についてのNHKの特別番組に出演し、山鹿方式の話をしたという。やっぱり・・

 考えてみれば、山鹿市は自治体の大きさがひとが生きていくのにちょうどいいのかもしれない、と思う。横浜では市長や教育長に会えることなどないが、ここでは友だち言葉で話ができる(教育長は高校の同級生、市長は先輩)。子どもの情報が多いのも、ほかに話題がないから、とも言える。横浜では、話題が多すぎて、その気はあっても子どもの情報にまで手が回らないのだ。

 「大きいことはいいことだ」と、その昔流行ったけれど、大都市のほうがかっこいいのかもしれないけれど、大きいほうが税金が有効に使えることもあるのかもしれないけれど、

自治体の大きさも照準を合わせるなら、「ひとが生きてゆく」ということにこそ合わせるべきだと思う。

 

 

徳丸のり子

 

 

 

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