• よこはまチャイルドライン
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「あなたはそこにいるだけで価値ある存在」      ~がん哲学外来のまなざし~

樋野 興夫さん

 

順天堂大学医学部病理・腫瘍学教授

 

いまや2人に1人ががんにかかる現代にあって、がん患者はもちろん、多くのひとのこころの支えになっているのが「がん哲学外来」「がん哲学外来カフェ」です。この活動で、樋野先生は今年度の朝日がん大賞(日本対がん協会主催)を受賞されました。

そして、この素晴らしい取り組みのコンセプトは、じつはチャイルドラインとよく似ているものでした。樋野先生にお話をうかがいました。

 

人生邂逅の3大法則は、「良い先生、良き友、良い読書」

 

――朝日がん大賞、おめでとうございます。「がん哲学外来」を始められたきっかけは?

樋野 ぼくはもともと病理学者で、顕微鏡でがん細胞とにらめっこの毎日でした。それが、中皮腫という難治性がんの診断マーカーを開発していたとき、2005年に順天堂医院に新設された「アスベスト・中皮腫外来」を3ヵ月間担当することになったんです。

 そこでの問診で、初めて患者さんやご家族の不安や苦しい胸の内を聞くうちに、医療現場と患者さんとの間にある「隙間」が見えてきて、それを埋めるには、同じ目線で語り合える「対話の場」があればいいと、ピンときました。そして2008年、がん哲学外来が誕生したのです。

 患者さんには圧倒的に対話が不足しています。がんという病気に罹って自分の不安な気持ち、どうしていいのかわからない心細さ、悔しさ、悲しみ、それらを受け止めてもらえる場所がないのです。そうした気持ちを自由に口に出せる場をつくりたかったのです。

 じつは、患者さんの抱える悩みの3分の1が治療法など医療に関するもの。3分の2が家族や職場、医師らとの人間関係の悩みです。日本の患者さんは夫婦間の悩みも多いんです。

  本来、医療者の2つの使命は、「学問的、科学的な責任」と「人間的な責任」です。前者は病気を診断・治療する学者的な面で、後者は悩める患者に手をさしのべ、患者とあたたかい関係を築くひととしての役割です。しかし実際は、医師は患者の身体を診て診断するのが精いっぱいで、人間関係の悩みまではつきあっていられないんですね。

 そんな人々の心の隙間を埋めるのが、「がん哲学外来」です。いまは日本全国、約90カ所で展開しています。元患者やそのご家族がボランティアで運営している「がん哲学カフェ」は約140か所で運営されています。

――すごい勢いですね。それだけ多くの人が必要としていたのですね。その「がん哲学外来」で先生が気をつけていらっしゃることが素晴らしいと思います。普通、医者と患者は対等ではありません。圧倒的に患者のほうが医者の教えを乞う、という立場です。まあ最近は少し変わってきていますが、それでもやっぱり患者は医者の言うことは黙って聞きますね。立場的には、医者のほうが患者より上です。

樋野 ぼくは、「馬を降りて花を見よ」の精神です。患者さんと同じ目線に立つということが大切だと思うのです。ですから、「がん哲学外来」では白衣を脱いで、ひたすら話を聴く。そのひとのペースで。がんという病気だけを診るのではなく、がんを含めた患者さんをまるごと診て受け止める。「がんも単なる個性」なんだと。

 患者さんは悩みを解決したいというより、ただ聞いてほしいと思っている人が多いんです。患者さんは病気の治療だけではなく、こころの安定も求めているのです。ですから、空っぽの器を用意して、どんなことでも受け止める。

――じつはそれは、チャイルドラインとコンセプトが一緒です。電話で子どもの話を聴くとき、子どもと同じ目線で、ひとりの人間として子どもの声に耳を傾ける。どんなことでも受け止める。でないと、子どもはこころを開いてくれません。上から目線の受け手は子どものほうから、電話を切られてしまいます。

樋野 がんと向き合うとき、ぼくは『誰とも会わずひとりで深刻に集中して1時間悩みきろう』と伝えます。すると、自然と外に出たくなるものです。それと「自分より困っている人を探しなさい」と言いますね。自分より困っているひとのために何かしてあげられるのではないか、といたわり合うこころと役割意識が生まれ、気持ちをプラスへと持っていけるのです。どんな状況にあっても、自分の役割や使命がみつかると、ひとは見違えるように生き生きとなります。どんな立場のひとであれ、存在そのものが素晴らしい。

 たとえ残された人生が短いものだったとしても、役割を見つけた後の人生は、それまでの人生とは異なったものとなります。そして、人生から期待された「自分の役割」は誰にでも必ずあり、それを追求するのが「人生」なのだと思います。いい人生は最後の5年で決まるのです。そして、ひとにはだれでも最後に「死ぬ」という大きな仕事があります。

 「がん哲学外来」で、そのお手伝いができればいいな、と思っています。

――「哲学」って、なんだかむずかしそうですが・・・

樋野 そんなことはありません。ぼくは、19歳のころからずっと毎日、読書をつづけてきました。きっかけは、浪人中に出会ったひとりの教師で、「毎日寝る前に30分読書しろ」とね。その先生の先生が東大総長を務めた南原繁で、南原の人柄や思想を聞いているうちに南原の本も読むようになった。その南原が「師」と仰いだのが内村鑑三と新渡戸稲造で、この人たちの本も愛読書となりました。そして、経済学者で南原の後の東大総長が矢内原忠雄です。

 ぼくは彼らの著書を繰り返し読み、「人生いかに生きるべきか」という人間学・哲学を学び、生きてゆく「基軸」ができました。単なるぼくのライフワークだったのですが、これが「がん患者」とみごとにクロスして人間学と生物学が合体したんですね。これが「がん哲学」です。ですから、「がん哲学外来は人間学」なのです。 

 

  ひとはだれでも「あたたかい他人」を求めている

 

――先生の子ども時代はどうでしたか。

樋野 ぼくは島根県の出雲市、大社町鵜峠(うど)という小さな町で生まれました。小・中学校はもう廃校になっているような片田舎です。町にはこれといった娯楽もなくて、いつもひとり丘の上で人生を考えていた。

 海で泳いだり、石投げをしたりして遊んでいると、いつも後ろから村の老人がぼくの様子を見てくれていた。自分の背中を誰かが見ていてくれるというだけでひとは安心するんだと、子ども心に思ったんですね。それは親でなくてもいい、おとなが必ず自分のことを見守ってくれる安心感。そう、あたたかい他人がそっと心配してくれるやすらぎ。これが人生なんだと思った──。「がん哲学外来」の原点ですね。

 ですから、もしぼくがシティボーイだったら、「がん哲学外来」はできなかったかもしれせんね(笑)。

 「がん哲学外来」に来るひとは、みんな「あたたかかい他人」を求めているんです。

――じつは、チャイルドラインは先生のおっしゃる「親でなくてもいい、おとなが子どもをそっと見守っているあたたかい他人」をめざしているんです。先生がそうであるように、子ども時代の体験はその後の人生に大きな影響をもたらすこともあります。子ども時代に「あたたかい他人」を知れば、それはそのひとの人生をゆたかに彩り、支え、そして他人を信じることができるようになるのではないでしょうか。

樋野 そうですね。「がん哲学外来」は、ぼくの子ども時代の体験がもとになって、浪人時代から始めた読書、病理医としての経験が結びついて、こうしてひとつのかたちとなってきた。まさに、いろんな体験も「この時のため」だったと思いますね。 

 人生、何がいいのか悪いのか、だれにもわかりません。いまや、ぼくの想像を超えて「がん哲学外来」は広がっていますからね。

――先生のこれからの夢は何でしょうか?

樋野 最近は、中国やアメリカなど、海外の大学からも講演依頼があり、「がん哲学外来」はいまや日本発信の活動になっています。末期がんの人たちの療養施設や「メディカル・カフェ」を点在させる「メディカル・ビレッジ」などの構想もあり、今年の11月10日、奄美群島で第1回目の「日本メディカル・ビレッジ学会」も行われます。

 ぼく自身は、「がん哲学外来カフェ」を全国に7000か所くらいつくりたい。それだけあれば、どこにいても、無理せず、だれでも参加できるから。

 そして、7人のサムライ(勝海舟・新島襄・内村鑑三・新渡戸稲造・南原繁・矢内原忠雄・吉田富三)と天国で「がん哲学外来カフェ」を開きたいですね。

――今後のますますのご活躍を期待しています。本日はどうもありがとうございました。

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