• よこはまチャイルドライン
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「ひとは何のために生きるのか」 

上田紀行さん

東京工業大学リベラルアーツセンター教授

 

 

――お忙しいのに、ほんとうにありがとうございます。現在、大学で教鞭をとられているそうですね。

 

上田 はい、3 年前に創設された、東京工業大学で教養を学ぶリベラルアーツセンター長をしています。リベラルアーツとは、いまの大学生に欠けている教養を身につけてほしくてできたセンターです。というのも、いまの学生は勉強も試験に出る科目(東工大で言えば、数学・英語・生物・物理)しかやらない。授業でも自由にレポートを書けというとすぐに「何文字くらいですか」と質問され、どうやったら評価されるかばかりを気にします。「21世紀に自分はどうしたら世界に役立つことができるか、どう生きるか」という本質的な問いかけをすることなく、目の前の物理、数学の問に答えることのみに明け暮れている。

 ところが、そんな大学生が自己紹介するとき、「わたしはその辺のどこにでもいるきわめて普通の学生です」と言います。「空気読め」と言ういまの時代には、学生にとっては「まわりの空気を読んでみんなから受け入れられることこそが大事」であり、実は「なんで自分が生きているのかわからない」といった状況があります。

 

 小さいころから「いい子として育ち、いい娘、いい母親、いいお婆ちゃん…」つまるところ「私は誰でしょう?」という女性の言葉もあります。いまの若者は自分の本音を隠し通し、自分なりの色、匂いを出すと「おかしい」と言われ、「そんなひまがあれば勉強しろ」と言われる。色も匂いもない、抵抗しない人間。脱色、脱臭の、空気を読む「透明人間」になっています。 でも、魅力的なひとには必ず「匂い」や「色」がある。余人をもって代えがたい「匂い」や「色」、個性があるとは、そういうことなのです。

 

これまでの日本では、多くのひとが「他の人と同じものを欲しがれ」、「他者の欲求を生きよ」とする自我のシステムを生きざるを得ない状況がありました。それを象徴する言葉が、「透明な存在」という言葉です。「透明な存在」とは、1990 年代半ばに神戸で起こった小学生殺傷事件の犯人、少年A が提示した言葉です。

 

考えてみれば、「透明人間」は組織的には交換可能な存在です。オウム真理教の信者の言葉に「私は私の人生を生きている気がしない。誰か他人のそれのような気がする」がありますが、この交換可能な透明人間は、まぎれもなく日本の社会が生み出してきたものです。日本の教育は、交換可能な優秀な部品をつくりだすことに懸命でしたが、ユニークで個性ある人間を育てることは目標にしなかった。それが、経済を発展させるための社会の要請だったからです。経済が右肩上がりのときは、それでもよかったのかもしれませんが、不況になってくると、問題が生じてきました。

 

 「生きていてよかった」と思える自分でありたいのだけれど、「交換可能」なわたしはとてもそう思えない。「交換可能」の対極にあって「交換不可能」なのが「かけがえのない存在」で、金銭でも何とでも交換できません。いまの時代、わたしたちひとりひとりが自分自身を「かけがえのない人間」と思うことができづらくなっているのではないでしょうか。

 

――先生の子どものころの思い出をお話しいただけますか

 

上田 わたしは東京の乃木坂で生まれました。実家は数百坪の土地をもち、アパート経営をしていました。小説家を目指す父と演出家を目指す母。父は酒と女と博打に明け暮れ、あげくの果ては家のお金を全部持って、家を出て失踪しました。

 

 そして、我が家は母1 人子1 人になりました。母は俳優座の演出部で助手をしていましたが、それではとうてい子どもを養っていけず、演劇の道を断念し、会社務めを始めました。外国のドラマをテレビに放映する際の吹き替え用に、英語から日本語に翻訳する仕事に転じ、さらには本の翻訳家となりました。

 家はいつも貧乏で、頼れるのは母だけ。その母にも再婚の話もあったそうですが、「ママ、再婚なんかしちゃダメ。大きくなったらママを世界旅行に3 回連れて行ってあげる」とのわたしの言葉で母も再婚できなくなってしまったんです。

 

 ところが、成長するに従い、こんなに頑張って育ててきた息子がどうしようもないあの父の容貌に近づいていく。母はわたしに「あなたのなかには、あの父親の邪悪な血が半分流れている」と言うようになりました。

 

 幼少期から、当然、母の評価を第一に私は生きていました。しかし、わたしのなかで湧き上がってくる、訳のわからないもの、しかしわたしのエネルギーの中心にあるものが、その母によって否定される。母に愛されるためには、自分自身を否定しなければならない。そんな悪循環に陥ってしまったんです。

 それでも、何とか大学に入学しましたが、家に閉じこもって「おれはおまえのせいで、こうなってしまった」と、母に悪態をつきました。

 

 結局、大学1 年のとき、かなりの単位を取り損ねて留年し、ノイローゼ状態になり、カウンセラーに通うことに。本来なら、そんなわたしが家を出て、1 人暮らしをするのが当然だったでしょうが、悪態をつきながらも、わたしは母から離れることができなかった。

 

 とうとう母は、そんな状況に業を煮やして決断しました。「じゃあ、家族を解散しましょう。わたしはニューヨークに移り住むわ。わたしが49歳であなたが22歳、いまだったらこの日本の家を畳んで、荷物を作ってニューヨークまで移住する元気がある。でも、あと5 年たったら、ニューヨークに住み続ける元気はあるけど、日本の家を畳んでまでニューヨークにいくという元気はなくなっているかもしれない。そうすると、27歳になった息子に頼って生きていく、依存的な嫌な母親になってしまうかもしれない。だから、いましか行くときはないのよ!」

 

 わたしの母はこういう母親なんです。たくさんのひとが、彼女を素敵なひとだと言いますが、わたし自身は若いころ、母が自分の親ではなくてだれかほかの友人のお母さんだったら、と思っていました。

 

 母はその後も、中米グアテマラへのスペイン語学留学や70歳での現役引退記念のダンスパーティー開催など、いろんなことに挑戦しましたね。

 

――すてきなお母様ですね。

 

上田 かくして、母から解き放たれたわたしですが、抑圧がなくなって母から自由になっても、展望は開けません。未来が見えない。自分が何にわくわくするのか、何が好きなのか、わからない。何をしても楽しくない。

 そんなとき、友人から「インドに行けば自分に出会える!」と洗脳され、リュックひとつで、インドへの貧乏旅行に行きました。それが、人生の転機になりました。

 

 インドでは、悪徳商人やタクシーの運転手と駆け引きしなければ、むしりとられるので、「1 ルピーにしろ」と大声で値切ります。これが、人生のレッスンになりました。

 

母に「おまえのせいで」と叫んでいたときは、被害者意識だけが強く、しかしそこから抜け出して「オレはこうしてほしい」とこころから絶叫すれば、世界は変わる、仲間になれるんだ、とね。インドでの叫びは、ノイローゼのわたしが脱出するきっかけとなりました。

 その後、バリ島に行き、人を元気にさせる集団のあり方について考えるようになり、20代の後半にはフィールドワークとしてスリランカの悪魔祓いの研究をしました。

 

 この悪魔祓いはなかなかに興味深いものです。スリランカでは、孤独なひとに悪魔が憑くといわれています。悪魔祓いとは治病儀礼、つまり病気を治す儀式で、だれかに生老病死の苦しみがあると、みんなで夜通し悪魔祓いをしてくれて、子どものころからそれを見て育つんですね。なので、だれでも「苦しみがあっても、必ずみな救ってくれる、癒してくれる」という確信が得られ、生きることを支える根っこ、人間らしさの回復が社会の中にインプットされているんです。

 日本では、「誰でもいいから殺したかった」といった犯罪者のコメントが報じられますが、「ひとは救われる」「優しい人はいる。この都会にも」といったものを実態として子どもたちに見せていく必要があると思います。

 

 わたしの友人は人生に悩み、夜中に彷徨し、たまたま扉が開いていた教会の中に入って行き「助けて下さい!」と叫ぼうとしましたが、教会の中で「支え」と「自由」を感得し、自分の部屋に戻り今一度チャレンジし、やり直そうと決意したそうです。ダメだったら、その時にあの教会で叫べばよいと。

 

 その点、チャイルドラインの活動は素晴らしいと思います。子どもが「助けて」と叫んだとき、それを誠実に受けとめるおとながいる。横浜には来る機会も多いのですが、ここ横浜にそういうおとながいると思うだけで、あたたかい気持ちになります。

 

――ありがとうございます。活動の励みになります。「生きる意味」とは?

 

上田 いま、不登校問題をかかえる子どもを持つ親は、「1 年進学が遅れた」「偏差値が下がってしまった」「恥ずかしくて表通りを歩けない」と言って、宝の山を持った子どもをジャンクにしてしまっています。16歳と18歳の2年間は大きな差かもしれませんが、46歳と48歳では大して変わらない。そう考えることで、不登校という、一見穴ぼこの生き方が違った風景になる。ネガティブなことは宝になるのです。そう、その子にしかできない「かけがえのない体験」をしているのだと。

 

 わたしも、あんなにたいへんだった母との葛藤を友人に話すと、「おまえすごいね」と言われます。父の出奔や母との葛藤が間違いなく、わたしの「かけがえのない体験」であり、それがなかったらいまのわたしはありません。

 高度成長が血となり肉になっている親世代は成長していくことが当たり前という思考が染み付いてしまっていますが、「かけがえのないその子どもの一生」を考えていく必要があると思います。

 

 ひとは、何のために生きるのか。それは「良い種を蒔く」ためです。良い種を蒔いたところで、いつ芽が出るかわからないけれど、またどんな逆境にあっても、最後まで評価されないかも知れないけれど、「良い種を蒔いたのだ」と素直に喜ぶ気持ちが大切だと思います。

 

 そして、ダライ・ラマが言われるように、「愛と思いやり」に満ちたあたたかい社会をみんなでつくっていきたいですね。

 

《活動ニュース》